どうしたら ??・・・だろう!! | Home | 50てん・・・
2008/05/25 14:18 | 印刷

青臭い話題なのですが、先日、息子との会話のあと、少し考えてみました。
否、考えることで自分の「生」を大切にしたいと思うのです。

死後の世界は見ることが出来ません。
だから、誰も自分の死を、事実として人に話すことはできないでしょう。
一方で、生には限りがあると気が付くと、生きていることに、たまらなく愛おしさを感じます。
時間を貴重なものに思います。

それは、からだの不思議さや、存在することの偶然性に気付かされ、『生かされている』としか思えない、創造主への畏れと感謝の念かもしれません。

私たちは、創造主から切符を預かってこの世に生まれてくるのかも知れません。
それは、再び創造主の場所に戻るまでの大切な往復キップなはずです。
生まれたばかりの赤ちゃんが、こぶしを握りしめているのはそのためかもしれません。
切符には、見える文字で、発行年月日と出発地と行動範囲が書いているのでしょう。

しかし、生きている間に背負う使命。役割。
どこへ行き、何ができるのか。どのようにするのか。誰と出逢うのか。切符の有効期限。どのように帰るのか。等々。
全て自分の意志と思っていることは、実は予め見えない文字でインプットされているのかもしれません。

さて、切符の有効期限が迫り、そろそろ この社会での旅が終わりであることを知ると、怒り、うろたえ、自分の大切な実績を創造主に差し出して、それと引き換えに、旅の継続を願いたくなるはずです。

でも、切符に書かれている事実を理由に、その願いの受取りは拒否されるのでしょう。

ひょっとするとその時、実はもっと大切な、次の生命につながる『何か』=チャンスを、創造主から私は与えられるのではないかと思うのです。

それと言うのは、
いよいよ 新たな旅立ちの直前になると、レポート課題が課せられるかもしれません。否、自分で書きたくて仕方なくなるはずです。
もちろん、レポートすべき内容や正解は知らされていないし、良い評価が何を意味するかも知らされません。
課題は ・・・「生きた証」

導かれながらも自分の力でまとめ上げるより仕方ありません。出来ることなら、せっかく与えられたチャンスですので、次に与えられる生命につながる、何かに、役立つようなレポートを書きたいと思います。それが生きた証になることを信じて。


死に対する恐怖は、見えざるものの存在を知らない、無知による感情ではないのだろうか。
有限な命。個にとっては有限な時間。
大切。と思いながら、失いたくない。と思いながらも失わなければならないもの。
そうであるがゆえに、その一つ一つに悔いの無いように接したいと思います。

悔やみきれない喪失経験をした時、見えざるものが見え、知った時、初めて謙虚になれるのかも。とも思います。
そういった意味で、失うことはスタートかもしれません。


私は信仰心を持ってませんが、でも何か。見えない力に支配されているようにも思えるのですが・・・

それにしても、「かもしれません」とか「はずです」の多い、不心得なものになってしまいました。
ご気分を害された方には、お詫び申し上げます。

〉切符の有効期限

う〜ん!
ナイスはフレーズ。


〉失うことはスタートかもしれません。

まいりました。このフレーズは、少なくとも私にとっては、今までの人生において、バッチリ当たっています。
でも中には、失ってしまったらそれは無であり、とてもスタートとは思えない。そんな発想の方も多いですね。死以外の無は、必ず有につながる何かを持っていると感じます。。。
MacFanさんはプロフェッショナルな方ですね。
喪失経験から再生を体現されている。
>無は、必ず有につながる何かを持っている・・
実績に裏打ちされたお言葉として、貴方様の生き方を感じさせていただきました。
ありがとうございます。

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