10年以上も昔の話し。
当時 株主?従業員?社会?なんて 不毛の論議がありました。
買収劇で少しリバイバル。
装置や設備が企業価値を決めた時代は過ぎ去ったと感じます。
ハード部分での資産価値(お金の多寡)が企業の価値を決めた時代は終焉を迎えようとしているのかもしれません。
今は 固有の存在として、人の持つ価値(差異性)が企業の価値になっていると思う。
逆に言うと、差異性の無い企業は埋没するのだと思う。
時間が、自然に答えを現してくれるのでしょう。
差異性の源泉は何でしょうか。
同じ行動に安住を求めるのではなく、
他を否定するのではなく、
同じ価値観を強要されるのではなく、
他と競争するのではなく、
知らないことを恥ずかしがるのではなく、
前例が無いからと否定するのではなく、
否。欲しくないことを掲げて 答えを探すよりも、
欲しいものを掲げて 答えに近づきたいと思う。
ある人は言う。「違いをもたらす違いは何か」と。
あんがい 原始的な欲求の中にその答えが隠されているように感じる。
ワーキングプア。
一日 掛け持ちでどんなに働いてもプア。のまま。
一方、少し話しただけで時給数万円。
アウトプットの仕方だけで、この違いはなんなのだろう。
随分お金の価値はいい加減になったと感じる。
それでも、いい加減なお金は、いい加減な形で、いい加減な場所にまちがいなくある。
この事実へのコミットの仕方が充実感の岐路かもしれない。
そんな事実をおさえながら、
例えば、より良いサービスの追求。
隣と同じサービス内容は価格の差異に堕ちるかもしれない。
そうではなく、
顧客は本当は何を求めているのか。
どのように心配りして欲しいと思っているのか。
どうあって欲しいと思っているのか。
自分では出来ないこと、プロには何を期待するのか。
お金(自分が持っている価値の一つ)を手放してまで欲しいと思っている価値は何か。
今までに存在しなかったけれど、何と何が結合すれば新しい価値が創出されるのか。
それはどのような潜在顧客にどのような満足感をもたらすことができるのか。
自分の提供できるサービスの何が顧客をひきつける魅力になるのか。
更に魅力に磨きを掛けるにはなにをすればよいのか。
すべて『自分だったらこんなふうにしてもらいたい』
その欲求のこえに耳を傾けると、答えを得られるかもしれないと思う。
だから、「違いをもたらす違い」それは時代の変化に目を見張り、自分の内なる声に耳を澄まし、そうして感じたことを、変化を恐れずに行動をできるかどうか。
企業は誰のものか。既得権の喪失を恐れるものが、しがみつこうとしてのアガキか、社会性の責任を問う学者や評論家の言葉遊び。一面ではおもしろいと思う。
でも、今存在しているものに対して、どんなに理屈を考えてもそこからは何も新しい、人のための価値は生まれない。
延命幇助。否、瓦解を見守る世論でしかない。
消え行く灯火には一種「慕情」を感じつつ、でも試行錯誤して未だ見ぬ次元を求めて行動することのほうが、もっとおもしろいと思う。
差異性。
創りあげながら成長する存在。
それは、汲んでも汲んでも尽きることがない泉として、その人の内なる資源なのだと思う。
個の時代とは このことなのだろうか・・・
おはようございます。コメントありがとうございます。
社会、否人類の共通資産であって欲しいです。
精神的、もの的にも豊かな社会であり続けるために。
だからこそ
>顧客は本当は何を求めているのか。
>どのように心配りして欲しいと思っているのか。
富を集めることを究極の目的とするのではなく、
人が幸せになることを企業の存在理由とするような
そんな企業であって欲しいと思っています。
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