福岡のいじめ事件。
学校の責任、先生の責任、教育委員会の責任、いじめた級友たちの責任、
それを是認していた級友の責任。
責任はいろいろな人にあると思います。
でもフッと思ってしまったのです。
両親の責任は何なのだろうか?と。
両親はまちがいなく被害者です。『子どもを失ってしまった』という。
でも 一番の被害者は自殺した本人です。
これからの人生を 周囲の人々によって絶たざるを得なくさせられたのですから。
「お母さん/お父さん/こんなだめ息子でごめん/今までありがとう。
いじめられて、もういきていけない」(中国新聞10.16よりコピー)
この中学生は、
どうして両親に謝るのでしょうか。
どうして 自分をダメ と否定しているのでしょうか。
どうしてお礼を言っているのでしょうか。
両親に助けを求めていたのではないでしょうか。
「今まで育ててくれてどうもありがとう」死を覚悟した自分が、
それでも 最期にお礼を言いたい存在。
子どもにとって愛おしい存在なのではないでしょうか。両親は。
自分をダメだと思わなければならないほど、自信をなくさせられた物理的な環境は、
学校だけなのでしょうか。
子どもは変化を、まったく親に見せなかったのでしょうか。
教育は誰かがしてくれるもの。
親は、学校(先生)が・・・、あまり期待できないので、塾が・・・、
学校(先生)、は家庭教育が主体で・・・。
そんなふうに、自らの責任は棚に上げてしまい、相手の責任だけを追及する、
そのような身勝手さがあたり前になっているかもしれません。
そしてマスコミも無責任に、情報を垂れ流しているだけなのかもしれません。
父親は先生に「あんたがこの笑顔を無くしたんだッ」と悲痛な叫びを上げていました。
同じ父親として 心の叫びは痛いほどわかります。
でも・・・、一番身近な親としてできることも、きっとあったのだろう・・・と思ってしまうのです。
ご両親の落胆と悲しみには心よりの哀悼の意を表したいと思います。
そして混乱してしまっている心的状態から、無事になられんことをお祈りいたします。
責任を転嫁するだけの社会にはしたくないものだと思います。
社会の共通した大切な財産である子どもたちに対して、
自分は何をしたら良いのだろうか。
自分にできることは何だろうか、
と模索していることに気付くyamamotoです。
コメントありがとうございます。
わたしが子どもを持ったとき、はじめて持った感情は、かわいらしくて 愛おしくて、良くぞ誕生してきてくれた。「ありがとう」でした。
その次に来た気持ちは、これで自分は親になったのだけれど、この子はわたしたちだけのものではなく、
少し大げさに言うと「人類みなの共有財産ではないだろうか。それを仮にわたしたちが預かっているだけなのでは・・・」
という感情でした。人類皆のものだから、個人的に責任を取る必要はない。などと言うつもりはありません。
その意味で、eisinさんの
>子供の成長に対して協力し合うべきなんじゃないでしょうか。
とのご意見は本当におっしゃる通りだと思います。
子どもを失った親の悲しみを経験したことはありません。私は幸せ者だと思います。
でも 熱を出して切ながっている子どもの表情を見ると、出来ることならば変わってあげたいと思います。
そんなことですから、体験したことがなくても、想像することはできます。
それを考えると、親の苦しみは、誰もがそんな苦悩を体験をしなくてもすむ幸せな社会にしたいと思います。
そのために、親としても賢い親でありたい。それ以前に、人間として賢く生きたいと思うのです。
感情を殺しあうのではなく、生き生きとした、そして人として温かみのこもる家庭にして参りましょう。
卑劣ないじめを受けたとう経験もありません。
こんな私がこんなことを言うのはとてもなまいきだと思いますが、すみません・・・
>両親の責任
と
>学校の責任、先生の責任、教育委員会の責任、いじめた級友たちの責任、
それを是認していた級友の責任。
は、同等だと思います。
それぞれの子供の性格にもよると思いますが、
もっと話せる環境、子供を気遣う気持ち、
子供へのなにがなんでも守ってやるという態度が私は大切だと思います。
「元気ないけど、なにかあったの?」の一言。
心の中で思っているだけでなく、口に出して、
「お前の味方だからな」という言葉。
それと、話せる環境については、
子供の立場からの気持ちとしては、
親が子供の前で、うれしい、楽しい、悲しい、むかつくなどの素直なその時の気持ちを話すと、
子供も親に気軽に話せるようになるんです。
向かい合って話すのではなく、
肩を並べて話す感じです。(説明が下手ですみません)
将来、そんな家庭が作れたらなって思ってます。
ありがとうございます。
そうですね。「他者に対する『前向きな関心』が大事」ということですね!!
>「お前の味方だからな」という言葉。
本当に大切ですよね。
そんな気持ちの延長線で、
「いじめられたって お前はがんばって学校へ行っているじゃないか!!」「お前はお前で良いんだ!!」
そんな気持ちと言葉で接したいです。わたしは。
子どもの気持ちの中に入りたい。
子どもの気持ちを感じて、一緒に成長していきたい。そして、子どもには自分を乗り越えて行ってほしい。
わたしはそんなふうに思っています。
>肩を並べて話す感じです。
子どもとの対立ではなくて、融合ですね。。
下手じゃありませんよ。。説明。よくわかります。
あなたなら、笑顔と会話の明るい家庭ができますょ。そんな気がしていました。以前から。
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どっちかに責任が…じゃなくて、どっちにも責任がある。でも、親にしてみればそんな事は言ってられないですよね。うちの子はまだ1才です。なんでも話し合える家族にならねば、と思います。