本日は「エンデの遺言・根源からお金を問う」と言うテーマでした。ゲストはおぐらやま農場の松村さん。今回も実に実に充実した内容でした。
初めにお断りしますが、ブログの内容は全て三代目Dの私見です。誤解も感情も混じっていますが、毀誉褒貶は極力排除して書いているつもりです。
まず、『モモ』で有名なミヒャエル・エンデが生前に残した言葉と共に現代の市場原理主義競争社会の矛盾とそれに対するアンチテーゼの動きを追ったドキュメンタリーを見ました。
金本位制から解き放たれた「マネー」は実態から切り離され、不滅性(非物質性)と無限の膨張性(利子)を手に入れたことから、現在の経済の混乱は始まった。
お金を持つものは何もせずとも豊かになり続け、負債を負うものはブラックホールに落ちる。永遠に競争が続けば、勝者が最後の一人になるまで、ノックアウト方式のサバイバルが続く。現にアメリカではごくわずかの人間がほとんどの資本を握っているのだ。
話が逸れるが、小泉首相は「民営化」を叫んで大人気だった。公共事業だった郵便を競争原理に置けばいい事があるとみんなが信じたのだ。
それが今の世の中をみんなが支持した理由だろう。
「みんなで力を合わせて少しずつ豊かになろう」とするより「チームに分かれて競い合って無駄を減らして、効率を上げ、勝った人にはご褒美を与える事で意欲を掻き立て、より良い世の中にしていこう」としたのだ。
まさに小学校から定年まで、現代の社会の縦軸だ。
だが、同時に地域社会では横軸として様々な「助け合いの組織」がある。義務の分担ともいえるこれらの様々な組織はお互いを蹴落とすのではなく、支えあっている。
核家族や地域社会の崩壊が進行しているのは、縦軸のテンションが強すぎて、いびつな形の社会になっているからだろう。
そこで話を戻すと、ドキュメンタリーでは世界各国の「地域通貨」の取り組みが紹介されていた。紙幣の形をしたもの、通帳の形をしたもの、地域の銀行が発行するもの、形態は様々だがそれらは全て利子を生まないため(取っておいても増えない)、地域のお金の流れを活発にし、地域通貨のコミュニテイーに参加することでモノとサービスを地域の人間同士の信頼関係と言う潤滑油で循環させることが出来るようになっているのだ。
ドキュメンタリーの内容はとても全て書ききれないが、印象とした感じたのは、これから地域通貨と世界通貨の二種類が広まっていくであろうこと。それと日本でも増えている「ワーキングプア」のように中流の人々が強者にどんどん蹴落とされていく社会でいくら頑張っても無駄だという事にいつかみんなが気づくだろうことでした。もう会社は社会的意義よりも生存が第一義で、従業員は兵士ではなく鉄砲玉になってしまっているのだから。「モモ」みたいな社会でみんな満足なのだろうか? 古代ローマ人は午前中しか仕事しなかったらしいよ。午後は余暇。
その後、松村さんのお話があったのだが、これが深刻な話を笑い飛ばす痛快なドキュメンタリーでした。
おぐらやま農場の日常を撮った写真のスライドを見ながら、安曇野の地域通貨の現状なども話して下さったのですが、おぐらやま農場には常に世界中からやって来たウーファー(労働力を提供することで金銭を介せず宿泊する旅人)や友人の協力があって、農場の仕事も農業倉庫の建設すらもある程度マネーや地域通貨のお世話にならずに出来てしまう。
天恵緑汁などの自然農薬を使い、旬の食材を余すところなく加工して使い、まさに先日の話のようなパーマカルチャーのような生活を実践している松村さんの所には世界中からウーファーが来て、リピーターになってしまっているようです。
正直農家の立場からすると、素人のお手伝いは迷惑千万。むしろ金を取りたいくらいなものです。素人のウーファーさんに食事と宿を提供するのですから、収支計算をすれば間違いなくシルバー人材を雇用した方が安上がりで仕事も正確です。
でもおぐらやま農場に集まる人々の生き生きとした笑顔を見て、お金は社会とつながる接点であって、人間とつながる接点ではないのだなあと感じさせられました。
最後に松村さんが弾き語りしてくれた「リンゴ畑の詩」(当人オリジナル曲)は名曲です。鳥肌立って涙腺緩みました。
2008/04/18 22:10
投稿者 : sandaimeD
