2008/08/25 15:31

最後は老舗のお煎餅屋でしょうゆせんべい買ってお散歩終了。

さて、バスに乗って帰りますかね。


2008/08/25 15:21

昔ながらの商店街



===以下加筆===

ちなみに「この風景に見覚えある!」って思った方、かなりの”NHK朝の連続テレビ小説”通

谷中は1996年に放送された「ひまわり」の舞台になった街です

”ひまわり”は松嶋菜々子さんの出世作となったドラマ
リストラ(?)されたOLが弁護士を目指して猛勉強するお話

ちょうど浪人の時でよく見てました
土曜日の午前中は再放送を1週間分見て、予備校に行って夜まで勉強するというのが行動パターンでした

懐かしいな~


そんなこともあって行ってみたかったのです


2008/08/25 14:10

谷中は江戸時代から庶民の行楽地として栄えた町です。

大分疲れて来たのでお寺の東屋で(^ .^)y-~~~




===以下加筆===

谷中は江戸時代中期から道灌山を訪れる途中による観光地として栄えた街です
道灌山は江戸時代、筑波山・日光連山を望む景勝地として江戸庶民の身近な観光地でした

また、江戸初期に上野に寛永寺が建立されて以来谷中には子院が多く立てられ寺町としても発展してきました

明治維新の上野戦争で多くの寺院が焼失しましたが、その後の関東大震災、第二次世界大戦では大きな被害を受けなかったため、昔からの区画、町並みを色濃く残している街なのです


こんな路地もステキだし



なんでもない路地に福の神がいるのもお洒落ですよね

2008/08/25 13:41

西郷さんは実際はもっとカッコいい人だったそうです。

さて公園を抜けて谷中へ向かいます。

そろそろ疲れてきました




===以下加筆===

上野公園は元々は寛永寺という徳川家の菩提寺でした

この寛永寺、今の上野公園の全てと芸大のあたりまでが境内という広大なお寺でした
さすが徳川家の菩提寺です

明治維新の際、上野戦争の戦場となり伽藍の殆どを焼失してしまいました
新政府が跡地をどう利用しようかと思案しているところにオランダ人医師のボードウィンが公園として残すことを進言し、日本で初めて”公園”と認定されました
その後、内国勧業博覧会の会場となったことから多くの博物館、美術館が建設され今に至っています


上野公園にある国立西洋美術館、東京都美術館、国立博物館はいつも良い展覧会を開催しているので、東京に行くと必ず寄る場所になっています



話は変わりますが、この寛永寺
あの篤姫のお墓もあります(非公開)
宮崎あおいは本当に可愛いですね(^-^

2008/08/25 13:18

蓮池です。受験生の時、試験前日にここでぼーっとしてました(笑




===以下加筆===

そして落第して浪人することとなりました(笑

2008/08/25 12:52

通りすがりで見つけました。

弁慶とは、あの弁慶さんのことのようです。

帰ったら調べてみよ。




===以下加筆===

詳しいことはコチラをご参考になさってください

それにしても、源義経と弁慶って色んなところに足跡を残していますね

チンギス・ハーンになったという伝説もあながち嘘ではないかもしれません(^-^;;

2008/08/25 12:29

東大の学食でランチ。

レギュラーカレー290円也
安いですが全く具がないです。さすが学食。

隣の学生が「竹ひごを1メートルに切って長さのブレを調べる」という高尚なんだかどうかよく解らない話をしてます。

ところでこの学食は安田講堂の中にあります。色んな意味で感慨深い。


腹も満たされたので上野公園をめざします


2008/08/25 12:22

60年代を総括せよ!

注)私は右でも左でもありません


2008/08/25 11:56

夏目漱石の小説「三四郎」と縁深い場所




===以下加筆===


大学の構内(しかもど真ん中)にこんな場所があるなんて驚きです
もっと橋のほうにチョコンとあるんだと思っていたら、広い広い


読書がとても好きなんですが、明治の文豪、特に夏目漱石は本当にすごいと思います

読むたびに新たな発見があって、いつまでも色あせることがありません




2008/08/25 11:35

通りがかったお寺、麟祥院に案内板があったのでお墓参り


2008/08/25 11:26

大江戸八百八坂とはよく言ったもんです

東大・三四郎池を目指してぼつぼつ行きます。


2008/08/25 11:12

言わずとしれた学問の神様
ちょうど結婚式をしてます


2008/08/25 10:54

江戸総鎮守である神田明神で安全祈願です。

裏参道から清水坂を抜けて、次は湯島天神を目指します




===以下加筆===

神田明神の詳しい説明は公式HPをご覧頂くとして、注目すべきは「神田は神田明神があったから神田という地名になった」ということです

神田明神は大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)が
今の神田の辺りに創建し、1300年ごろ現在の場所にご遷宮されまて今に至ります
その後も神田の地名は元の場所に残っているわけです

神社の縁起を調べるとその土地の歴史がわかります


今、松本・安曇野にある神社の縁起を色々と調べているのですが、ちょっとずつ安曇族vs仁科氏(大町)vs諏訪族が見えてきて大変おもしろいです



2008/08/25 10:42

御茶ノ水で電車を降り日暮里まで明治文学の舞台本郷と、江戸からの下町谷中を散歩して行きます。

まずは湯島聖堂