安曇野名物 仁科神明宮 | Home | おれの分も勉強してくれ
2008/05/16 7:40 | 印刷

算数・数学という科目は、初めて耳にする解き方や理屈や定義を教えてもらってそれを使いこなせるようにする学問だ。


小学生でも大学生でも学校の授業だけではなかなか理解できないものなので、本を読んだり人に聞いたりして理解に努める必要が出てくるのだが、小学生はそうやって能動的に解決できないから、どうしても家族が助けてやる必要が出てくる。
家族が助けてあげないと身につかない学問であるともいえる。
子供たちは自力では理解できないから、どうしても家族の助けが必要になる。
低学年のときから必要な助けを得られないと、高学年になってまったくついていけないことになってしまう。
低学年のときに計算を正しくできて、パズルなどで論理的な思考の遊びをしておけば、高学年になって学ぶ抽象的な概念も吸収しやすくなる。

一方水泳。
最初は足がつく浅瀬のところで水浴びのようなことから始まり、泳法へと発展していく。さらに泳ぎが上達すれば、足がつかない湖や海を泳ぐことが出来る。
足がつく段階で泳ぎ方を覚えておくと、やがて足がつかない深いところでも溺れることもなく泳ぐことが出来る。
だから親は溺れさせないように、足のつく段階でしっかりと泳ぎ方を教える必要が出てくる。

高学年になって落ちこぼれてしまった現象は、水泳でいえば浅瀬で泳法を覚えられずに、足のつかないところで泳がされて溺れてしまった現象といえる。

水泳の場合、足のつかないところへいずれ泳ぎ出すことがわかっていれば、親は真剣に泳法を教えたり、水泳教室に通わすだろう。なんたって溺死させるわけにはいかないから。
ところが算数の場合、低学年のうちは落ちこぼれるという現象が見えてこないし、危機感をもてないから算数を教えることをサボってしまう。ただ「勉強しろ、宿題したか」の掛け声だけになっている。
プールサイドや浜辺やボート上から「がんばれ!」と掛け声だけを発して、自らが教えずにいるのと同じなのだ。
このように算数ができくなっていく過程は泳げなくなっていく過程と同じだといえるわけだす。

水泳では間違いなく溺れさせるわけにはいかないから、「この子を助けなければ」という思いで、自らが教えたり教室に通わすはずだす。算数もそれとまったく同じ思いで行動をとっていいわけなのだすが、なかなかそうはならないみたい。

もし水泳の練習で、泳げなくてバタバタともがいている子供に向かって「がんばれー」とボート上から掛け声だけを発していたら滑稽な様だし、周りからごーごーの非難に会うはずだす。
それと同じなんだがなー




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