2009/03/07 14:21

 プロローグ

 平成17年5月21日、午後9時43分、桜ヶ丘消防署に出動要請がかかった。
「はい、119番です。火事ですか?。救急ですか?。」
「助けてくれ。うんと、苦しがっている。」
「救急ですね。落ち着いてください。・・・・奥さんが、背中を痛がって、倒れたんですね。すぐに救急車を向かわせます。」
午後9時44分、救急隊出動。
「意識はありますか。・・・・・そうですか。楽な姿勢をとらせてあげてください。いま、救急隊が出動しました。」

 老女は、その日の昼頃から、腰背部痛が出現し、増悪傾向を認めたため、家人が救急車を要請し、大竹が勤める地方総合病院に搬送された。
緊急CT検査を受け、急性大動脈解離と診断された。当直医から、心臓血管外科のオンコール医師を呼び出すように事務当直に依頼があった。
「心臓血管外科の大竹医師と連絡がとれました。」
「もしもし、ああ、夜分にすみません。今晩の当直医です。74歳の女性なんですが、今、緊急CT検査をやっています。どうやら急性大動脈解離のA型です。」
「わかりました。すぐに病院に向かいます。CT検査が済んだら、集中治療室に収容してください。」

 大竹は、寝室で子供たちを寝かせつけていた妻にそっと近づき、出かけることを伝えた。
「ごめん。病院から呼ばれた。」
「どんなひとが来たの。」
「急性大動脈解離のおばあさん。」
「手術になるの。」
「たぶん・・・・・。緊急手術になったら、朝までかかる。いつ、帰れるかわからない。」
「そう、気をつけてね。大丈夫?。」

 大竹は、部屋着を脱いで、ジーンズに履き替えた。何年たっても、緊急の呼び出しがあるときには、妻は、寂しげな不安そうな顔をしている。上の女の子が起きてきた。
「お父さん、どこに行くの。」
「お仕事で、呼ばれちゃったんだよ。お母さんと弟のことをお願いね。」
「わかった。じゃあね。」
下の男の子も、起き出した。
「お父さん、どこに行っちゃうの? お父さんと寝たかった。」
 下の子は、すぐにめそめそと泣き出した。親の言うことを聞いて、我慢している上の女の子の方がかわいそうなのかもしれない。
「じゃ、行ってくる。」
「いってらっしゃい。」

 大竹は、街灯が照らす暗い夜道を病院に向かっていった。



2009/03/07 14:24

午後10時19分 集中治療室収容。

 大竹の勤務する病院は、病床400床、人口10万人の地方自治体が経営母体である。医師の数は、1年目、2年目の研修医を含めて80人以上だ。心臓血管外科医は、科長と大竹の2名である。大竹の上司である科長は、平成15年を最後に、心臓手術の術者をしなくなった。同時に入院患者の主治医をやらなくなり、病棟や集中治療室にもあまり来なくなった。ちょうどその日は、救急センター設立に向けての会議に出張にでており、連絡が取れなかった。循環器科の医師を呼び出し、心臓超音波検査で、大動脈弁の逆流、冠動脈の確認を頼んだ。病院の電話は、一部の電話機をのぞいて、市内通話しかかけられないように制限がかかっていた。100km離れた地方都市にある出身大学の集中治療室に自分の携帯電話から電話をした。二つの都市は高速道路で約1時間30分でつながっている。
「もしもし、こちら、市立病院心臓血管外科の大竹といいます。第2外科心臓グループの今日の当番医師を呼び出して、市立病院心臓血管外科の大竹宛に折り返し電話をかけるように伝えてください。」
「はあ?。もしもし、もう一度おっしゃってください。」
「緊急手術の要請です。当番医師を呼び出して、市立病院心臓血管外科の大竹宛に折り返し電話をかけるように伝えてください。」

電話を切り、集中治療室の看護師に、その日の当番の麻酔科の医師、手術室の看護師、輸血を準備してくれる検査技師を呼び出してもらうようにお願いした。
人工心肺装置を管理してくれる臨床工学技師をポケットベルで呼び出した。
集中治療室の電話機が慌ただしくなる。同時に病院内連絡用PHSも、慌ただしくなった。
「もしもし、検査室です。」
「心臓血管外科の大竹です。急性大動脈解離の緊急手術になります。血液型と、術前検査をお願いします。血液型がわかった時点で、濃厚赤血球20単位、新鮮凍結血漿20単位、濃厚血小板20単位を手術用にお願いします。」
血液20単位とは、200CCの献血20人分にあたり、約4リットル。400CCの献血だと10人分相当となる。臨床工学技師の帯刀から電話がきた。
「もしもし、帯刀です。大学から医者はあつまりそうですか? 技師も一人出張をお願いしてください。」
「了解しました。電話しておきます。」
大学病院からも外線電話がはいった。心臓手術の時には一人か、二人の助手が必要である。
「もしもし、大学の瀬戸崎です。お久しぶりですね。今日は、なにがきたんです。」
「74歳の女性で、急性大動脈解離A型。今日の昼頃から、腰背部痛で発症。心タンポナーデにはなっていない。大動脈弁は、今、循環器科が超音波検査をやっているところ。今日は、科長は出張でいないんだよ。大学病院転院で緊急手術をやってくれる?」
「いや、いつものように、手伝いに行きますよ。2人でいいですか?」
「お願いします。ポンプの技師の出張もお願いするから、3人で連絡を取り合って来て。もし、間に合わなければ、こっちで始めているから、慌てずに気をつけて来て。」
人工心肺装置は、体外循環回路とも呼ばれていた。心筋保護液を使って心停止の状態で手術をしなければならない心臓手術の時には必要となってくる。膜型人工肺は、日本製品が世界的シェアを誇っている。体外式の人工心臓としては、ローラーポンプが主流だ。

 大学病院まで、昼間であったら最近就航したドクターヘリで35分。救急車の搬送10分。合計45分位で到着する。夜間で、救急車で高速道路を患者の搬送をすると90分~120分かかる。

 緊急手術の準備で時間がかかるのは、手術室の器械の準備と、輸血の準備、それとインフォームド・コンセントだ。



2009/03/07 14:29

インフォームド・コンセントとは、納得して医療を受けてもらうため、十分に説明を行うことをいう。外来診察の予約枠は一枠が10分間である。手術前の患者の診察の時には、3枠の予約を取るようにしている。通常の心臓手術の時には、本人、家族と外来で手術予定を立てるときに約30分、さらに入院してから2、3時間かけて面談しながら説明を行っている。緊急手術の時には、なるべく早く説明しなければならない。大竹は、あらかじめ作っておいた説明用紙を取り出して、家族に説明を始めた。

「心臓血管外科で医長をしております大竹です。これから、奥さんの病気について説明いたします。急なことで大変だったでしょう。」
心臓は、一分間に60から100回の収縮を繰り返し、全身に血液を送り出している。血液は全身に酸素と栄養を供給する。まず、心臓から送り出された血液は、上行大動脈に上向きで流れていく。一部分は、わかれて首の血管を通って、一番大切な脳に流れていく。一部分は、腕に流れていく。腕頭動脈・左内頚動脈・左鎖骨下動脈、首と手にいく血管を弓部三分枝という。その後、大動脈は下向きに下行大動脈となる。腹部に入り、肝臓・脾臓・胃・小腸・大腸・腎臓に枝をだして、最終的には足先まで流れていく。
CT検査の画像をシャーカステンに並べて、大竹は説明を続けた。
「放射能を使って、体を輪切りにして見えるようにしたのがCT検査です。これが心臓、背骨、背骨の隣にあるのが下行大動脈、・・・・・」
大動脈解離とは、大動脈の壁が裂けていることをいう。動脈は、内膜・中膜・外膜の三層構造をしている。動脈硬化で内膜の一部に傷ができると、その傷が入口部となって、血液が中膜の中に流れ込み、動脈の壁を裂いてしまう。裂けて出来た偽腔が、本来、血液が流れるべき真腔を圧迫してしまうこともある。大動脈解離で問題になるのは、血管の破裂、心タンポナーデ、大動脈弁閉鎖不全、冠動脈を含めた各臓器の虚血である。
動脈の破裂は、血管内から血液が失われ、出血性ショックとなる。
心タンポナーデは、心臓周囲に血液が貯まり、心臓自体の収縮を妨げてしまう。
急激な大動脈弁閉鎖不全は、心不全を引き起こす。
解離した偽腔が、真腔を圧迫すると、血液が臓器に流れずに臓器不全に陥る。

人気コメディアンであった有名芸能人が、緊急手術を行った疾患だ。ワイドショーでも取り上げられていた。

急性大動脈解離は、スタンフォード大学の分類で、上行大動脈に解離があるものをA型、上行大動脈に解離がないものをB型と呼んでいる。
A型は、急激に時間とともに生存率が低下する。24時間で72%。B型の生存率は高く、24時間で100%に近い。
統計によると、手術による死亡率は、A型14〜27%。B型20〜39%。
このため、A型の解離は、緊急手術が選択され、B型の解離は、内科的な保存的療法が選択されていた。急性大動脈解離A型の手術は、上行大動脈人工血管置換術、または、弓部三分枝再建を伴う上行弓部大動脈人工血管置換術となる。すなわち、A型の解離をB型にしてしまうのである。
A型の手術は、心臓血管外科専門医認定機構の手術難易度分類で、難易度Cに位置づけられており、難しい手術とされている。
全身麻酔:痛み、苦痛を取り除くために、麻酔をかける。
 気管内挿管および人工呼吸器が必要。
心臓停止、循環停止が必要となるため、工夫がいる。
1) 人工心肺装置(人工心臓、人工肺による体外循環)
心停止中の各臓器の保護(脳、脊髄、肝臓、腎臓、消化管、筋肉)
2) 心筋保護液による心停止
心臓の保護
3) 脳分離体外循環
循環停止中の脳の保護
4) 低体温20〜25℃
循環停止中の臓器の保護(脳、脊髄、肝臓、腎臓、消化管、筋肉)
が、必要となってくる。

また、様々な術後合併症が起こる可能性がある。
1. 術中出血,術後出血;貧血、循環血液の減少、心タンポナーデ
輸血,再手術
2. 血管内凝固症候群(DIC):身体の中の血液を固まらせる成分、凝固因子が異常に使用されてしまい、血液が固まり難い状態が全身で起き、全身で出血がおこる。
3. 感染症;化膿、人工血管感染、縦隔炎、肺炎、敗血症・・・抗菌剤
    吻合部膿瘍・・・再手術、再感染、組織の破壊、破裂
4. 不整脈;抗不整脈薬,徐脈性・・・ペースメーカー
5. 心不全、循環不全;強心剤,血管拡張薬
      補助循環
(大動脈内バルーンポンプIABP,経皮的補助循環装置PCPS)
6. 腎不全;尿毒症・・・血液透析
7. 肝不全;肝機能障害、黄疸
8. 消化管;消化、吸収障害、麻痺性腸閉塞・・・腸ぜん動亢進薬
虚血性腸炎、腸管壊死
低栄養・・・中心静脈高カロリー輸液
9. 脳梗塞;麻酔から目覚めない,四肢麻痺,言語障害、てんかん発作
・・・リハビリテーション
10. 呼吸不全;肺炎、喀痰排出困難
急性肺障害、成人呼吸促迫症候群ARDS
・ ・・長期間にわたる人工呼吸器による管理,気管切開
・ ・・経皮的補助循環装置PCPS
11. 薬の副作用;アレルギー性ショック.喘息,じん麻疹
12. 多臓器不全;三つの臓器不全は、救命可能なケースの割合が高いが、四つ以上の臓器不全がおきると救命の可能性は低下する。全身感染、DIC、急性肺障害などがさらに合併して起こると、致命的。
13. その他

「難しい内容だけれども、大変だということをわかってください。」

大竹は、以上の内容を、老女の家族に、出来るだけわかりやすく、かつ速やかに説明した。手術の同意書、輸血に関する同意書、感染症の検査の同意書、入院治療計画書、行動制限の同意書、中心静脈カテーテル留置に関する同意書、肺血栓/塞栓症ならびに深部静脈血栓症の予防についての説明を行い、全部で6カ所に家族の署名をもらった。
大竹は、家族とともに、老女のベッドにいき、病気について家族に説明したことを伝えた。「心臓から、でている血管の壁が裂けてしまったんだ。今の医学では、手術をしないといけない病気だ。苦しくないように麻酔をかけて痛くないように、手術をやるからね。」
「お願いします。」

2時間前に初めて会った人の、それも手術死亡率の高い手術を行うことは、精神的にも厳しい。この人と会話ができるのも、これが最期かもしれなかった。


2009/03/07 14:40

 五人いる循環器科医師のうちの一人に術前の管理をお願いし、大竹は、ひとり医局に戻った。手伝ってくれる仲間がいれば、いいほうだ。誰もいないときには、一人で術前管理を行い、各部署に連絡を入れ、家族に説明をし、休む時間もなく緊急手術に突入する。今月になって、四つ目の緊急手術だ。先週には、破裂性の腹部大動脈瘤の緊急手術があり、予定の手術を一つ行い、急性大動脈解離、不安定狭心症の緊急手術を二晩続けてこなしてきた。どの患者も順調に経過している。大竹の表情に疲労の色が浮かんでいた。大竹は、香りの抜けて冷たくなってしまった苦いだけのコーヒーをポットからカップに注ぎ、大きく深呼吸をした。手術全体の流れをイメージしてみる。幾分、いらだっている自分に気付き、鼻歌を歌い始めた。

 平成3年地方大学の医学部を卒業した大竹は、そのまま出身大学の第2外科医局に入局した。どの医局を選択するかは確固たる目標があったわけではない。医学部を受験するときは、国際医療支援に漠然とあこがれていた。アフリカ難民の写真集を眺めていた。医学部で学んでいるときには、小児科、整形外科、脳神経外科、心臓血管外科に興味が出てきた。病気を切除してなくしてしまう切除外科が、当時の治療の中で多かった。その中で、整形外科、脳神経外科、心臓血管外科は、医師の力量で、患部の機能回復ができる分野のように感じていた。学生時代に脳神経外科をまわったときに、医局長から、「お前は、脳天気だから、脳神経外科か、心臓血管外科に向いている。」と、おだてられた。大竹が理由を聞くと、「脳神経外科と心臓血管外科は途中でドロップアウトしていく奴らが多い。それも、ある程度の経験を積んで、年をとってから辞めていく。そのときに、あまりまじめなやつは次の仕事がうまく探せない。つぶしが利かないってやつだ。なんとかなるさって考えられる脳天気なやつは、つぶされても生きていけるから、俺も気が咎めない。」
 実際、大竹が心臓血管外科のトレーニングを始めてから、上司や、他の病院勤務医の先輩、もしくは後輩が、計10人の医師達が心臓血管外科から離れていった。残りは県内に16人。年々減少を続けている。若い医師が育たないから、年齢もみんな一緒に上がっていく。「絶滅危惧種だな。」と、自虐的な疲れた表情をにじませながら教授が嘆いていた。

 国家予算を使い、心臓血管外科のトレーニングを受けた人材が、他の部門に流出していること自体が、現在のシステムの問題点であった。

 2年間の大学付属病院勤務で一般外科、麻酔科の研修を受けた。その当時から、麻酔科医は不足しており、外科医が自分で麻酔をかけて、手術を行うこともあった。大学病院での給与は日々雇用であり、時間外手当はなく、一日8時間、週に5日間勤務で、月におよそ16万円前後。時給1000円の計算であった。休日に外の病院の夜間休日の当直のアルバイトで生計を立てていた。県内の主要病院の夜間休日救急医療を一年目、二年目の若い医師達が支えてきたと言っても過言ではない。それは、またとない、いい経験でもあった。関連病院でさらに2年間の外科研修を行った。5年目に外科学会専門医を取得後でなければ、心臓血管外科学会の専門医受験資格が得られないため、一般外科のトレーニングの後、心臓血管外科のトレーニングが本格的に始まった。冬のある日、浅谷に呼ばれた。浅谷は、当時の心臓血管外科グループのリーダーだった。
 「大竹。お前は将来、先天性と、後天性のどっちがやりたいんだ?。」
 先天性心疾患とは、生まれつきの心臓の異常、すなわち小児心臓外科。後天性心疾患とは、成人になってから罹る心臓病のことだ。大竹は、心臓血管外科に選んでもらえたと心の中で喜んだ。心臓血管外科を希望していた医師も浅谷から翻意を促されてあきらめていった話を、先輩から聞いていた。
 「はい、後天性です。できれば、冠動脈バイパス術のエキスパートになりたいです。」
 「そうか。春から子供病院に行ってくれないか。」
 「・・・・・。はあ、それは、「行ってくれないか」じゃなくて、「行けっ。」ていうことですよね。」
 「まあ、そうだな。」



 平成7年から、2年間、大竹は出身大学の意向で、新設された県立子供病院の心臓血管外科に日々雇用の形態で、レジデントとして派遣された。都会の大学の医局から正規職員で採用された同期の医師は、ドイツ車に乗り、県の給料表に応じたボーナスが支給されていた。
 「おい、大竹。ナースを誘って、ぱっと、飲みにいこうぜ。」
 「ああ、今日は都合が悪い。また今度な。」
 日々雇用の大竹は、ボーナスなしの年収360万。前年の国税、地方税をおよそ100万円引かれると、新人の二十歳くらいの看護師よりも、低い所得であった。派手に遊んだり、贅沢なことはできなかった。さらに、大学の医局から、学位を取得するときに研究期間が足りなくならないよう研究生になっていた方がいいと勧められるままに、卒業後も大学の研究生として年間36万円の授業料を払い続けていた。二年目の時には、納税額は1/20の4万円台になっていた。

 その時の上司が、よく鼻歌を歌っていた。暗いメロディではないのだが、大竹は、そのメロディが聞こえてくるとソワソワしてくるような、いやな予感を感じていた。その上司はオーストラリアで臨床留学をしてきた、優秀な外科医であった。研究員として留学した医師の話はよく聞いていたが、海外の病院で手術をしてきた医師は多くない。注意深く観察していると、忙しい時にも、誰かを怒鳴ったあとにも、鼻歌を歌っていた。手術室でも、あのメロディが時々聞こえてきた。

 閉塞感、停滞感を感じたときには、人はいらいらする。怒りがこみ上げてくる。車の渋滞や、先が見えない仕事。込んでいるレジ。いらだったり、怒りで興奮しているときには、たいていの事はうまくいかない。交感神経が高ぶり、汗がでる。手が震える。周りの人間を不快にする。周囲に緊張を与え、ミスを誘発していく。

 難しい手術の前、手術の手技で上手くできないとき、視野の展開が上手くいかないとき。苦労しているとき、鼻歌が聞こえてきた。消え入るようなゆったりとしたメロディで。
 その上司は、自分のいらだちや、緊張を解いて、少しでも冷静に、正常な判断ができるようにするための手段として、鼻歌を意識的に歌おうとトレーニングを受けてきたのだった。手術中に鼻歌が聞こえるときには、大竹にも緊張感が走った。上司が苛立っている。それは、その子供の手術が難しい状態であるということであった。
心臓に何らかの疾患を持って生まれてくる子供の出生率は、およそ1%と効率であった。大竹の県での年間出生数は約2万人。緊急手術が必要なものから、放置しても問題ないものも含めておよそ200人が先天性心疾患を持っている計算になった。
 循環器科医が三人、心臓血管外科は、大竹を加えて4人の医師で、年間のべ170例の手術があり、25例の病理解剖があった。
 平均すれば、2週間に1回、重症の先天性心疾患の乳幼児が亡くなっていった。

2009/03/07 14:45

平成8年冬
浅谷から、大竹に連絡が入った。受話器からなつかしい声が聞こえてきた。
「今度、病院の統廃合で、新しい病院が出来るんだ。そこで、心臓血管外科を始めるから手伝ってくれないか。」
「私でいいんですか。」
「俺とお前のふたりで、立ち上げる。手術器械や、装置の選定・発注は、もう済ませた。どうだ、一緒にやってくれるか。まあ、お前にも無理を言ってきたし、お前が一人前になるまで俺が面倒をみなくちゃいけないだろう?。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
大竹は、浅谷の思いがけないオファーに喜んだ。2年間の苦労が喜びに変わっていったのを感じた。休みの日には、車で建築中の新病院を見に行った。

しばらくして子供病院の上司から、「新病院に浅谷先生はいけなくなったんだってな。」と聞かされた。日本の心臓血管外科第一人者の国家への働きかけで、子供病院の上司の出身大学からその病院にスタッフが派遣されるように決定となった。
大竹は、一瞬、何のことかわからなくなった。
(どうゆうことだ。機器の発注も済んだと言っていたから、何かの間違いだろう。第一、浅谷から、何の連絡もない。)

何日かして、浅谷から連絡が入った。
「この前の話な。なかったことにしてくれ。」
「はあ、・・・・・」
「悪かったな。じゃあな。」
短い電話であった。大竹に詳しい話を出来ない程、新病院の準備をしていた浅谷も悔しかったのであろう。平成9年春、大竹の次の就職先が大学の医局で決まった。
「大竹、心臓血管外科をやめるなら、早いほうがいいぞ。つぶしがきかなくなる前に、部下を導いてやるのも上司として大切だからな。お前は心臓血管外科にはむいていないんじゃないか?」
それが、子供病院の上司の送別の言葉であった。
以後、慢性的な人員不足を理由に、大竹の出身大学の医局からの子供病院での研修は取りやめになった。大学病院では、後天性心疾患の手術を中心に、先天性心疾患の手術を取り扱わなくなっていった。

翌年の春、浅谷と大竹は、県庁所在地にある別々の病院に正規職員として勤務していた。給与は増えた。携帯電話が普及し始め、大竹も購入した。時間の余裕も出てきた。心臓血管外科医は、一瞬先は闇だ。いつ、また給与の少ない忙しい生活になるかわからない。
(まあ、なんとかなるさ。なるようにしか、ならないし。)
大竹は、あまり贅沢はしなかった。誘われれば、居酒屋に行くこともあったが、酒もあまり好きな方ではなかった。
何回か、大竹は、浅谷の心臓手術の助手として手伝いに呼んでもらった。浅谷としては、幾分かは、大竹を教育しようとしてくれたのかもしれない。
その後、浅谷と大竹は、だんだんと疎遠になっていった。

それから、何年かして、浅谷は離島の診療所に赴任していったという話を人伝手に聞いた。インターネットで検索してみると、ヨットに乗っているなつかしい顔が出てきた。その島にヨットで着任した医師は浅谷が始めてであった。

院内PHSが鳴った。
「手術室です。1時頃の入室でお願いします。」
「わかりました。よろしくお願いします。」

2009/03/07 14:50

 平成17年5月22日 午前1時15分 手術室入室。

 看護師が叫んだ。
 「ちょっと待って、点滴のラインがつっぱっている。気をつけて。」
 移動用のベッドから、手術台に患者を移した。点滴用の静脈ライン、血圧測定や、採決用の動脈ライン、昇圧剤や血管拡張薬を入れたりするための中心静脈ライン、尿を集める膀胱バルーンカテーテル。様々な管がすでに体に入っている。
麻酔科医が、全身麻酔をかける。呼吸補助をしながら、麻酔薬を静脈からいれて、意識がなくなってから、気管内挿管。人工呼吸器を作動させた。
 「お待たせしました。」
 「それでは、手を洗いに行きます。」
 大竹は、レンズに汚れがないことを確認し、2.5倍の拡大鏡をかけ、頭にヘッドライトを装着した。拡大鏡をかけると視野が狭くなる。狭くなった視野をうまく照らすようにヘッドライトの向きを合わせ、グラスファイバーケーブルを光源に接続し、光量を調節した。眩しすぎるとハレーションを起こす。以前は、細いガラス繊維の束であったが、最近は透明合成樹脂一本で接続出来るようになり、軽量化された。いったん接続をはずし、手を洗いに行った。
 距離感、視野狭窄、左右の物体の統合になれるまでは、拡大鏡をかけると、めまいや吐き気におそわれたものだ。
 爪の間、指先、手の裏表、前腕そして肘の上まで、滅菌された水で洗い、消毒薬をブラシにとって更に洗った。以前は使用済みのブラシを再滅菌し、繰り返し使用していたが、最近は一回使用の使い捨ての製品になった。手を拭いて水気をとって、揮発性の消毒液を指先に噴霧し、よくすり込んだ。看護師に手術用のガウンを着せてもらうようにお願いしている頃、大学の医師が到着した。研修医の頃は、布製だった手術用ガウンも、使い捨てのものに変わった。大竹は、手伝いに来てくれた2名の医師と臨床工学技師に挨拶をした。
 「遅くなりました。先生もひとりで大変ですね。」
 「おう、ご苦労様。よろしくお願いします。術後管理も手伝っていってくれるか?。」
 「また~、冗談でしょう。手術が終わったら、さっさと帰らせてもらいますよ。」
 「おう。」

 心臓・大血管の手術の際には、術後に集中治療室で全身の管理が必要となる。欧米では、心臓血管外科医の平均年収は、40万ドルとも50万ドルとも言われていた。執刀医クラスになれば年収100万ドルともいわれ、心臓血管外科医の権威といわれる医師は、600万ドルと聞いた。さらに、術後は集中治療室専任のスタッフのチームが治療にあたる。
 日本、特に大竹の県では、集中治療室専任医師のトレーニング・教育が皆無であり、育成されてこなかった。専任医師は、各科の医師が、日々、任命され、施設基準上の用件を満たしているかのごとく数字を合わせているだけであった。長期間集中治療室専任で交替勤務で働いている医師を大竹は知らない。専任医師は名ばかりで実際は機能していないため、術後管理も心臓血管外科医がやらなければならなかった。
 ありのままの時間外勤務手当を申請しても、一日の勤務時間内に休憩時間をとらなければならないとか、月に40時間以上の超過勤務をさせてはならないという労働基準を遵守いているかのように見せるために、経営陣に自動的にカットされてしまっていた。長時間に及ぶ手術の最中に「休憩をとれっ」と云われても、現在の人員では物理的に不可能なことだ。また、手術中に手を休めることはできなかった。
 手術や、術後管理に携わる人員が欧米の約四分の一で、低賃金で、欧米と肩を並べる手術成績を保っている日本の心臓外科医は、欧米人に言わせると「クレージー」以外、なにものでもなかった。

 手術用手袋を不潔にならないように装着し、患者の皮膚を消毒した。青い覆い布を患者にかけて、手術台を上げてもらい、自分の肘の高さに合わせた。電気メス、吸引、手術用器械を確認し、大竹は大きく深呼吸した。
 「準備はいいかな。よろしく。」
 術野にあがった第一助手、第二助手、器械出しの看護師と握手をする。
 「メス。」
 大竹は、器械出しの看護師からメスを受け取ると、患者の頭側にいる麻酔科医と目をあわせ、手術開始の合図をした。
 「執刀します。先生、よろしくお願いします。」
 「お願いします。」

2009/03/07 14:56

 午前2時17分 手術開始。

 メスで、胸部正中切開を行った。メスを第二助手に渡し、左大腿動脈の処理を任せた。大竹は、電気メスで止血しながら手術を進めた。
 同時に助手の二人が左鼠径部を切開し左大腿動脈を剥離、露出していった。
 圧搾空気で作動する骨用ののこぎりで胸骨を正中で切開し、開胸器で胸骨を開いていった。骨髄からの出血をボーンワックスで止めた。
無名静脈、腕頭動脈、左総頸動脈、左鎖骨下動脈を剥離しテーピング。弓部3分枝は全て解離が及んでいたため、内腔から脳分離体外循環を行なう方針とした。
 「どう、大腿動脈は使えそうか?」
 「解離しているかもしれないけれども、何とかなりそうです。」

 平成10年春、大竹は、出身大学の附属病院に呼び戻された。インターネットが普及し始めた頃のことだ。再び、月給16万、休日のアルバイト生活が始まった。大学病院の術後管理で月に10日間病院に泊まり、アルバイトのための関連病院で10日間当直をこなし、自分で借りた2DKのアパートで寝るのは、残りの10日間だけの生活だった。緊急呼び出しに応えるために、自分達でポケットベルを購入した。手術の助手の依頼に応えるために、県内の高速道路を国産中古車で、何度も往復した。更に、大学の教授は、欧州から南米にかけて長期出張中であった。大竹の上司は、四年先輩の南原だけであった。
南原は、県内の病院を飛び出し、3年間、他県の病院に勤務し、心臓手術1000件以上に関わった。その後、教授の意向も踏まえて大学病院に移動してきた。経験に裏付けされた医学的知識も、手術の技量も、長けたものを持っていた。居眠りでディスクの椅子から落ちそうになりながら、病院に夜遅くまでいた。大竹は、少しでも習得出来るように、南原をよく観察するようになった。南原と一緒に働いた医師の中には、「自分が、南原の一番弟子だ。」という輩が何人かいた。大竹は、彼らとは、一線を画していた。心酔せずに、なるべく冷静に観察するように努めていた。
 人員が一番減少したときには、南原と大竹と女性の研修医の3人だけで、大学病院の予定手術、集中治療室の泊まり込み、関連病院での手術助手のアルバイト、週末の当直のアルバイトをこなした時期もあった。
 忙しい生活の中で、後輩のふたりの心臓血管外科は、高速道路の居眠り運転でガードレールに車をぶつけている。幸い自損事故で、けがもなかった。

 心膜を切開。心嚢液は透明漿液性であった。
 大竹は幾分、ほっとした。心タンポナーデになっているときには、赤黒い血液が吹き出してくる。心タンポナーデを解除してしまえば、心臓は元気に動くようになる。動脈が破裂したときには、鮮やかな赤色の血液が飛び散る。
 「この前、私が手伝いに来た解離は、動脈血が噴き上がる中で、手術しましたね。あの患者は、どうなりました?。」
 「おう、あれは大変だったよな。助かったよ。」
 「よく助かりましたよね。」
第一助手の瀬戸崎がつぶやいた。

 前々回の大動脈解離の手術の時には、解離した腕頭動脈が破裂し、動脈血が噴き上がるのを指で押さえながら手術を続けた。あふれてくる血液で針先が、どこにかかったか、目で確認ができない。破裂した部位を針と糸で修復した。大竹は絶望感に襲われながら、それでも手を動かし続けた。よく救命できたものだと思った。

 都会の有名な施設では、心臓血管外科専門医による医療ミスが大々的に報じられていた。大竹の同年代の逮捕者もでた。大竹は一度研究会で会ったことがある人物であった。
 「手術件数の少ない施設のくせに、偉そうなことをいうな!」
 と学会発表をした後に、突然、怒鳴られた後輩もいた。
 「初対面の人に、いきなり怒鳴られたんですよ。失礼なやつだと思いませんか。」
と、大竹にぼやいてきていた。
 その施設では、写真週刊誌に名前を載せられて、名前を変えて、故郷に帰っていった医師もいた。

2009/03/07 15:08

 心膜をつり上げ、胸骨の止血を確認した。酸化セルロースのガーゼを開胸した創部に当てて圧迫した。
 全身ヘパリン化(10+5ml)。
 左大腿動脈送血(Baxter 20Fr)、右房脱血  (Medtronic 32/40Fr 2 staged)にて体外循環を開始。
 右上肺静脈から左室ベントを挿入。
 上行大動脈を遮断。
 上行大動脈を切開。
 選択的順行性心筋保護液注入にて心停止。
 大動脈弁を交連部で吊り上げ、フェルト、GRFグリューを用いて、中枢側を形成した。
 直腸温25℃になった時点で、Open distalとし、循環停止。
 弓部小弯側にエントリーが認められた。
 バルンカテーテル8Fr2本用いて、左鎖骨下動脈、左総頸動脈から左脳分離体外循環を開始。
 腕頭動脈にバルンカテーテル12Frを挿入し、右脳分離体外循環を開始。

 大竹の施設では、脳分離体外循環を行うときには、右用(腕頭動脈用)、左用(左総頸動脈および左鎖骨下動脈用)の2系統に分けて使用していた。そのため、脳分離体外循環用分離体外循環回路を2個使用している。今まで、分離体外循環回路2個使用したことで、保険請求の審査で査定されたことはなかった。他の施設では腕頭動脈用、左総頸動脈用、および左鎖骨下動脈用の3系統に分けて、分離体外循環回路3個使用しているところもある。
 ある日、突然、脳分離体外循環用分離体外循環回路を1個に削られて審査された。晴天の霹靂に、大竹は直ちに再審査請求を依頼した。

 フェルト、GRFグリューを用いて、大動脈遠位側を形成した。
 4分枝付き人工血管はHemashield Gold 22x10x8x8x10mmを選択した。
 エレファントトランク法を用いて、人工血管-大動脈遠位側を3-0ネスピレンFカット4本にて吻合。2006年から、保険で認められる材料費が削減される。高価な人工血管を入手できにくくなるかもしれない。
 4分枝付き人工血管が販売される前は、自分たちで手術中に側枝を作成していた。以前は、エレファントトランクを切断した人工血管で作成していたが、人工血管を折りたたんだ状態にして挿入し、吻合を一カ所省くようにした。
 「大学病院では、エレファントトランクを2つに分けてやっている?。」
 「いや、たたんで縫いつけてから、引っ張り出す方法の時もありました。この前は、大学でも大竹先生のようにやっていましたよ。」
 手術のやり方にも、細かいところで、いろいろな方法がある。本を調べ、人に聞き、自分に合ったやり方を見つけていかなければ、あっという間に、自分の知識は古いものになっていった。一時期持てはやされた手術方法や材料も10年後の評価では捨てられていく事を、何度も見てきた。優れている方法はすぐには見つからなかった。ただし、いろんなやり方を知り、いろいろな方法で出来るという事は、自分の技量の懐を広くすることができた。その中で、自分に合わないものは捨て、いいものを残していけばよかった。別のやり方を知らないと、別のやり方ではできなかった。別の材料があることを知らないと、別の材料は使えなかった。手術材料や、手術道具も年々どんどん変わっていた。

 欧米では、「日本人は、料理ブックを片手に調理するように、手術をおこなっている。」といわれていた。日本人は、どちらかといえば、独創的な発想は苦手だ。ただし、まねをして、さらに、それに工夫を加えてよいものに変えていくことは得意中の得意であった。

 海外製品の医療材料は、日本では数倍の値段がついている。聴診器さえ海外で購入した方がやすい。聴診器を海外旅行のおみやげに頼む研修医がいるくらいであった。
 海外で開発され、使用されている薬剤・医療材料・医療機器も、省庁の認可が下りないと、保健医療では使用できない。
 車を直すときのように、「保険を使いますか? 自費で直しますか?」と聞く病院窓口も見たことがない。国民皆保険がある日本では、自費で医療を受けようとする人は、まずいない。医師国家資格を持っていたとしても、保険医を取り消されたら、病院勤務は不可能だった。

 人工血管側枝に送血を変更し、人工血管中枢側を遮断し、体外循環再開。
 第二助手が、送血のために切開した左大腿動脈を修復した。
 「解離していたから、内膜がはがれて、わかりにくいだろう。うまく、内膜を針でひろって修復してくれ。」
 「わかりました。なんとかします。」
 人工血管-大動脈中枢側を3-0ネスピレンFカット3本にて吻合。
 十分に空気抜きを行い、人工血管の遮断を解除した(大動脈遮断解除)。復温開始。
4-0ネスピレン16mm針連続縫合にて、左鎖骨下動脈、左総頸動脈、腕頭動脈の順番に弓部3分枝を再建。それぞれ、脳分離体外循環を停止後、空気抜きを行い、遮断を解除した。
 心のう、縦隔にドレンを挿入。

 自然に心拍再開し、直腸温35℃、イノバン5r、ドプトレックス5rで、体外循環から離脱した。

2009/03/07 15:13

 関連病院のなかには、人員不足のため、医師の派遣を教授に依頼し続ける病院があった。
 「どこも、人手が足りないことは、わかっている。人を派遣したくても人材が足りない。100%の力を120%出して、頑張ってくれ。」
 そう教授に言われた医師は、退職願を出し心臓血管外科を辞め、無医村の診療所に赴任していった。

 二年前に、心臓血管外科の立て直しのために、南原は、その病院に勤務するようになった。家族を残し単身赴任で、一人で年間100件以上の手術をこなしていた。一ヶ月の時間外勤務が100時間を超えたため、病院長が大学の教授のところに行き、「何とかしてやってくれ。応援の人員を出してくれ。」と掛け合いに来たと大竹は聞いていた。
 ある日、東京大学で管理しているメールサーバー経由で、大竹の自作したパーソナルコンピューターに電子メールが届いた。南原からであった。
 「病院を辞めることになりました。昔の仲間の伝手で、県外の病院に行くことにしました。心臓血管外科を新設するところであまり期待はできません。」

 大竹は、臨床工学技師の帯刀の薦めもあり、一台、自作PCを作った。電源、ケース、マザーボード、CPU、メモリー、光学式ドライブ、マルチリーダー、グラフィックボード、ハードディスク、モニタ、システム。帯刀と部品を選び、インターネットで秋葉原に発注を出した。総額で16万円。同じスペックのパソコンを量販店で買えば、25万円か30万円くらいするだろう。組み立て作業の人件費を自分で浮かせた計算だ。個々の部品の保証はあるが、パソコンとしてのメーカー保証が付かない。コンピューターの世界は日進月歩であった。半年たてば、さらにスペックが高くなったものが、安く手に入るだろう。逆に将来の規格に合わない部品は、使い道がなくなっていった。しばらくして、部品が配達されてきた。マニュアルに沿って、二時間ほどで組み立てる。電源を入れて、設定をしていく。あっけないくらい簡単に正常に動いた。わくわくしたのは、そこまでであった。正常に作動さえすれば、なんら市販のパソコンと変わりなかった。

 大竹は、車の運転はそんなにも上手くなかったが、バイクや車のエンジンは好きだった。
 学生時代にはオフロードのバイクに乗っていた。ヤマハDT50白、2ストロークの7.2馬力。ホンダXL250R赤、4ストローク。カワサキKDX200緑、2スト。
 最初の車は、F1ホンダ最後のターボエンジン、1200cc、直列4気筒、横置き、インタークーラー付きターボのシルバーの中古車だった。クラッチは乾式。オーバーフェンダーが採用されていてブルドックと呼ばれていた。ターボタービンが焼けないようにターボタイマーを取り付けた。トルクがあり、日常では低燃費でリッター16kmくらい走っていた。ターボのブースト圧が上がるとドカンとトルクがあがった。デジタルスピードメーターの周りに、アナログ式のタコメーターがついており、その隣にはターボのブースト計がついていた。発進の時に踏み込むと、容易にホイールスピンさせることができた。友達と夜中の山道をタイムを計りながら走っていた。アルバイトしてタイヤを購入した。
 2台目は、赤いホンダBB4。当時は世界最高の4気筒エンジンと言われていた。2.2リッターVTECエンジン 自然吸気。高回転になるとエンジンサウンドが高音に変化した。社外マフラー、サスペンションダンパーを組んだ。車にはステッカーを貼り、アルミホイールをアドバンのものにした。エアフィルターはスポーツタイプに変え、ヘッドランプバルブはブルーがかったホワイトにした。
 3台目は、白の日産RB2500。日産最後の直列6気筒、縦置き。ノーマルアスピレーション。機械式のリミテッドスリップデファレンシャルギアをメーカーオプションで組み込んだ。エアロパーツでドレスアップした。アスファルトでリアタイヤを滑らせることはしなかったが、雪の積もった広場でスピンターンをして遊んでいた。

 プロタミン19mlにてヘパリンを中和。
 止血確認。吻合部からの出血に、追加で糸をかけて縫合止血していく。
 右房、右室にペーシングワイヤーを縫着。
 温生食2リットルで、洗浄。
 心膜は、GoreTexを使用して閉じた。
 胸骨は、松田ワイヤー5本、胸骨ピンフィクソーブ3本で閉胸。
 筋膜を1バイクリル、皮膚はスキンステイプラーで閉鎖し、マルチフィックスで保護した。

午前8時46分 手術終了。手術時間6時間29分。

 大竹は、助手のふたりと、そして、器械出しの看護師と握手をし、手術用ガウンを破りながら脱いだ。汗で緑色の下着が濡れて、色が黒く変わっていた。新しい乾いたものに着替えると、暖かく感じた。もう外は明るくなっており、病院の通常業務が始まっていた。出張で来てくれた3人の労をねぎらい、超過勤務をしてくれた麻酔科医、看護師に、ねぎらいの言葉をかけて、患者とともに集中治療室に向かった。

 それは、一人きりの術後管理の始まりであった。

2009/03/07 15:19

 術後、全身麻酔、気管内挿管、人工呼吸器管理のまま、集中治療室に入室。

 この病院の集中治療室は五床あった。そんなことは、めったにないことだったが、五床共にこの一週間で大竹が心臓の手術をした患者だった。
 人工呼吸器の設定の確認。薬剤の指示。コンピューターへの入力。
 平成16年2月から、本格的にカルテの電子化が始まった。今までの手書きの依頼から、コンピューターでのオーダー入力となった。導入されたときには、その煩雑さに不満を漏らしていた医師達も、今では、その便利さ故に、コンピューターなしでの手書きでの作業に戻ることはできなかった。バグがでて、コンピューターが停止してしまったら、仕事にならない。
 画像ファイリングシステムのハードディスクは、計算だと二年後にいっぱいになる。しかし、新しいハードディスクの予算はどこにもなかった。病院の電子カルテシステムは安全性を高めるために外部とは繋がっていない。そのため、コンピューターウィルスに対する防護策はとられていなかった。しかし、誰かが記憶媒体からウィルスを持ち込めば、大混乱に陥ることであろう。

 落ち着いたところで、老女の家族に面会をしてもらった。
 「予定していた手術を行いました。しかし、これから乗り越えなければならない山がいくつかあります。その都度、一番いい方法を考えて診ていくようにいたします。緊急の連絡が取れるようにしておいてください。」

 そこから、順番に集中治療室の五人の患者を診察する。薬剤の投与量や種類を変更し、看護師への指示内容を変更し、明日の検査や輸液の依頼をしていった。入力ミスがあると、修正の入力をしなければならなかった。ミスが多くなってきたときに、ようやく大竹は看護師に言った。
 「悪いが、少しだけ休ませてくれるか?。」

 集中治療室の看護師長から、もうこれ以上、心臓の術後患者を受け入れることは不可能だと伝えられた。翌週に予定していた手術患者は、その状況を受け入れてくれた。転院することなく、通常に集中治療室が稼働するまで、三週間、手術を待っていてくれた。


 第一病日、全身性炎症反応症候群に伴う急性肺障害を呈した。体の中に十分な酸素が取り込まれなくなり、人工呼吸器の酸素濃度を徐々に上げなければならなくなった。100%の酸素濃度となった。純酸素投与は酸素中毒による肺障害が起きるといわれていた。大竹は、すぐさま新しい薬を使い始めた。急性肺障害に効果があるといわれ、認可が下りた新薬であった。海外では、その副作用のために発売中止になっている地域もあった。同時にリハビリテーション科に肺理学療法の依頼をした。

 病気は患者本人の体が、自分で治していかなければならない。医師は、患者が治そうとするのを手助けしているだけであった。しかし、集中治療においては、医師がギブアップした時点から急激に状態が悪化していった。大竹はあきらめなかった。

 緊急手術の時に麻酔をかけてくれた麻酔科医が集中治療室にやってきた。
 「五人とも、大竹先生の患者ですか?」
 「ああ、大変だよ。」
 「しかし、地方の病院でこれだけ心臓の緊急手術をやって、一人も死んでいないってのはすごいことですね。」
 「俺くらいの奴はいっぱいいるよ。どこも人手不足だ。やらないわけにはいかんだろう。麻酔科だって大変だろ?」
 「まあ、そうですね。それにしても先生もよくやりますね。」
そういいながら、手術室に戻っていった。

 全身性炎症反応症候群に伴う急性肺障害に対して、エラスポールという薬剤の投与を開始した。



2009/03/07 15:27

ある日、大竹の予定手術の第二助手に大学教授が出張でやってきた。その日の手術は、労作性狭心症の女性に対する冠動脈バイパス術であった。大竹が胸骨正中切開をして、左内胸動脈を剥離した。同時に第一助手と教授に左下腿から大伏在静脈をグラフトとして採取してもらった。

「南原先生が辞めた後の後任は、決まったんですか?。」
「いや、まだだ。」
「どうするんですか。閉鎖するわけにはいかないでしょう?」
「みんなに声をかけたんだが、断られた。まあ、なんとかなるだろう。」
「今の条件では、みんな嫌がりますよね。あそこの病院の前任者二人共、辞めていったんだから。心臓血管外科キラーですね。」
「まあ、そうだな。しかし、人手は足りないし、病院の条件がすぐに良くなるとは考えられんしな。」
「それじゃ、どうにもなってないじゃないですか。」
「大学に今いる若手に行ってもらうよ。そいつがいなくなったら俺の負担が増えてしまうけれどな。それに、まだ、手術中の急変に対処できないかもしれないから、手術の時には俺が行かなくちゃいかんだろう。」



2009/04/17 17:52

2005.5.23~エラスポール投与開始(14日間投与可能-6.5)
2005.5.23リハビリテーション紹介。
2005.5.27右肺下葉無気肺:持続陽圧換気圧を増加、1回換気量を増加、ネブライザー開始。
2005.5.27-5.29 アルブミナー投与。
中心静脈高カロリー輸液として、
2005.5.28~ピーエヌツイン1号液
2005.5.29~ピーエヌツイン2号液
抗菌剤:2005.5.22-5.28ユナシンS 5.29-セファメジン
5.30-オメガシン、アミカシンに変更
2005.6.1-6.3ステロイドパルス療法。
2005.6.5から尿量増加。利尿期。呼吸機能改善傾向。
2005.6.7からラシックス1Ax4/日→0.5Ax4/日。
補液内のナトリウム:50mEq/l→(6.7~)35mEq/l→(6.8~)34.2mEq/l→(6.10-)0mEq/lに減量。
ブドウ糖:250g/日→(6.7-)121.5g/日→(6.8~)175g/日→(6.14-)250g/日に変更。
2005.6.13 気管内挿管:経口→経鼻に変更。
プロポフォールによる鎮静、気管内挿管、人工呼吸器管理のまま、集中治療の続行。
2005.6.15 気管内挿管チューブを抜管し、人工呼吸から離脱。
2005.6.16 低アルブミン血症
 ADL訓練、摂食訓練、言語療法をリハビリテーション科に紹介。
2005.6.17 カテコラミン中止。
2005.6.17-19アルブミナー投与。
2005.6.19 ドレン抜去。
2005.6.20 ペルジピン中止。集中治療室から一般病棟への転床。
2005.6.21 摂食訓練で、ヨーグルト全量摂取。
2005.6.28~チエナム開始。 皮膚乾燥
2005.6.30 検尿提出。経口水分800ml/日まで可。
誤嚥性肺炎に注意。誤嚥があるときは、絶飲食の方針とした。
2005.7.1 膀胱バルンカテーテル内の混濁消失。
2005.7.2 食事量:なかなか増加していない。リハビリ:坐位の保持が進まない。
2005.7.4 受け答えがハッキリしてきた。
以後、リハビリテーション続行し、食事量が安定して増加したら、中心静脈高カロリー輸液を減量、中止する方針とした。
2005.7.12-中心静脈高カロリ:ハイカリック2号液→1号に変更。
2005.7.13 食事量増加した為、トリプルルーメンカテーテル抜去。膀胱バルンカテーテルで、血尿、混濁が認められたが、数日で改善した。
リハビリテーション続行。
本人、家族の受け入れが可能となったら、外泊・退院可。


2005.7.28 16:30-息子さんの面談希望あり
息子さんと面談:「他の部位の破裂、増悪の可能性は?」との質問に対し、以下のように説明した。

大動脈解離のA型:手術をしたほうが、生命予後良好。
      B型:手術をしたほうが、生命予後不良。
今回、A型をB型にする手術をした。
今後、B型の大動脈解離が増悪する可能性はある。
 動脈硬化症の予防(進行を少しでも遅くする為)に、生活習慣病の治療を中心に薬物療法、食事療法、運動療法を行っていく。術前に近くの医院から、他の病院にMRI検査を依頼され、痴呆症(認知症)、高脂血症と診断され、近医から薬をもらっていた。
 将来的には、かかりつけ医に薬の処方を含めて、経過観察を依頼する。問題が生じたら、当院で対処する。
 病気の進行した場合に、手術が必要であるか、手術が可能であるかは、その時点で総合的に評価する必要がある。

2005.7.30 高脂血症薬として、リピトール開始。
2005.7.30-7.31外泊
2005.8.5 ケアカンファレンスの後、退院を希望され、退院となった。

2011/01/10 16:41

 心臓血管外科手術においては、その術前管理、手術中、術後ICU(集中治療室)管理、術後病棟管理、外来において、患者、その家族を含めて、各職種間での連携、人間関係が非常に大切になってきます。

 たとえば、循環器科医師、臨床検査スタッフ、放射線科読影医、麻酔科医師、ICU看護師、リハビリテーション科スタッフ、病棟看護師、医療事務、外来看護師、栄養科スタッフ などなど・・・・・
 糖尿病合併時の内分泌内科医師、腎不全の時の透析センター医師、呼吸不全の際の呼吸器科医師、脳・神経障害の際の神経内科医師などなど・・・・・
 そのほか、普段の業務を支えてくれた庶務課の方々・・・・・

 大変、お世話になりました。退職の時には、十分な感謝の気持ちを表すことが出来ませんでした。改めて、お礼を申し上げます。

 今となっては、心臓血管外科手術は、良い思い出であり、貴重な経験をさせていただきました。
 前職の時の、手術について書きますと、心臓血管外科手術が無事に終了出来るためには、関係各位の努力と協力が無ければ出来ません。すべてのスタッフに感謝しております。

 多くのスタッフのなかでも、特に、麻酔科医師、人工心肺装置(体外循環、心肺バイパス)を管理してくれた臨床工学師との、息のあった術中管理は、経験した数多くの心臓血管外科手術のなかでも、大変すばらしかったと思います。
 循環血液量、末梢血管抵抗、体温管理、血管拡張薬、強心剤の管理が的確であり、手術時間を短縮し、患者にかかる負担、侵襲を低減させることができました。
 同じチームとして、何年間も、手術を繰り返し繰り返し行ってきたことが、良かったと考えています。
 地方病院の小さなチームでしたが、胸を張って誇れるチームであったと信じています。