2019/05/16 17:21

この日は河童橋から梓川沿いを6km余り遡った徳沢を訪ねました。ここから下流の明神地区までは奥上高地とも呼ぼれ、上高地銀座と呼ばれる河童橋周辺とはまた対照的な雰囲気を持つエリアでもあります。1枚目は幕営地(キャンプ場)からみた六百山です。なお、この一帯は昭和9年まで牧場として使われていたこともあり、牛に追い立てられた登山者や文化人もいたようです。
徳沢を語る上で外せないのが井上靖の小説『氷壁』です。1955年に発生したナイロンザイル事件を下敷きにした同作は、映画化もされ戦後の登山ブームのひとつのきっかけともなりました。同作に登場する「徳沢園」は、当時の建物のまま、現在は「氷壁の宿 徳沢園」として営業を続けています。建物内の食堂には、井上靖の原稿や、映画「氷壁」の小道具やポスターが飾られていました。
再び幕営地に出て前穂高岳を眺めます。1955年1月2日、この東壁で登攀中であった登山家が滑落・死亡しました。原因はこの時使用していたナイロンザイルの切断によるものでしたが、当時メーカーや研究者、日本山岳会はそれを認めませんでした。登山者の命に関わる事態に、遺族などが中心になって運動を展開しますが、実際に対策が講じられるようになったのは1970年代後半のことでした。
何も知らなければ「キレイ!」「素晴らしい!」で終わってしまう自然の山々ですが、人との関わりの中で起きた事件やその後の展開、そこから生まれた物語、などを知った上で視界に入れてみるとまた違った景色が見えてくるのではないでしょうか。

2019/05/10 19:22

私事ですが、今年も上高地で月の半分以上を過ごすこととなりました。まずは河童橋越しにみた焼岳。この日は前代未聞の10連休終了直後で至って静か。混雑を避けての上高地探勝には、この5月下旬から6月の頭がおすすめ。川岸の化粧柳も落葉松もこれから芽吹きを迎えます。
定番中の定番、河童橋の上より梓川と穂高連峰を眺めた様子も。山の高い部分ではこの日の朝にも雪が降り白く雪化粧しています。今年は昨年と比べ残雪が多く、右岸道の河童橋〜明神地区にかけては5月2日まで「通行困難」と案内されていました。
そんな上高地へのアクセスを一手に担っているのが、アルピコ交通です。上高地線新島々駅からのバスはもとより、都市圏からの直行便「さわやか信州号」やマイカー乗り換え拠点のさわんど地区からのシャトルバスがこの上高地バスターミナルにて発着します。なお、上高地→松本方面については、今シーズンより全てのバスが新島々止まり、電車乗り換えとなりました。

松本-(上高地線電車)-新島々-(バス)-上高地のご案内はこちらから

2018/11/05 18:11

11月に入り上高地も閉山まであと僅かとなりました。この日は朝の河童橋の周辺を散歩。まずは橋の袂からみた穂高連峰です。すっきりとした青色の空の下、頂上付近には積もった雪の白もみることができました。一足早い冬の訪れ。
梓川の左岸を小梨平方面へ。川の対岸にはまだ葉の多く残る落葉松と、対照的にすっかり葉を落とした白樺林が見えます。その向こうに顔を覗かせるのは焼岳。岸辺に立つ三階建はホテル白樺荘です。
小梨平でも多くの落葉松をみることができます。この梓川左岸でみられる落葉松は、1912年から1914年にかけて植林されたものです。キャンプ場は既に今季の営業を終了。一面黄色の絨毯を敷き詰めたような林の中をひとり歩きます。
再び河童橋付近へ。この頃になると、上高地銀座の名はすっかり影を潜め、カメラマンの呼び込みの声も聞こえません。閉山まであと2週間ほど。冬への歩みを着々と進める晩秋の上高地です。

2018/10/30 11:14

大正池よりバスに乗り込み、降りたのは次の帝国ホテル前。バス停からエントランスへの坂道を下っていくと、木々の間より堂々たる3階建ての建物が姿を現しました。元々は長野県が東京の帝国ホテルに委託する形で、1933年(昭和8年)に開業したものです
現在の建物は、1977年に建てられたものですが、開業当時の姿が忠実に再現されています。深紅の屋根越しに穂高連峰を望む様子からは、本場スイスにひけをとらない山岳観光地を目指した当時の人々の意気込みが感じられます。なお、このホテルが開業した昭和8年には上高地までのバスが開通しています。
帝国ホテルの裏手から梓川の畔に出ます。ここには田代橋・穂高橋の二つの橋が架かっており右岸側に渡ることができます。こちらは穂高橋の上からみた山々の様子。この山々をバックに記念撮影をする形も多くみられます。
右岸を歩いて上高地温泉ホテル、上高地ルミエスタホテルの前を過ぎるとウェストンレリーフの前に出ます。ここで梓川は大きく蛇行しており、背後の霞沢岳と共に美しい景観を生み出しています。
河童橋方面別へ。六百山の通称ゴリラ岩を眺めます。岩全体の形、植物の生えかた、目鼻のような岩の窪み。これをゴリラと言わず何といいましょう。岸辺の落葉松は大分色づいていました。

2018/10/25 7:19

この日は大正池周辺を散策しました。この辺りは今年の7月にも一度歩いたコースですが、さてさて秋の様子は如何なりしか。胸を弾ませ午後の上高地行きバスに乗り込みました。
バスは梓川に沿って国道158号線を走ります。シャトルバスの乗り換え拠点であるさわんど地区を過ぎた辺りから、山々の紅葉が目立ち始めました。画像は奈川渡ダムの堰堤上からみた梓川渓谷の様子です。いかがでしょうか。
急勾配の釜トンネル・上高地トンネルを抜けるといよいよ上高地です。最初の目的地は大正池ですが、前回と同様に今回もあえて手前の太兵衛平でバスを降りました。曲がり角の先に見えるのは既に冬支度に入った穂高連峰の姿です。
堰堤を過ぎて大正池の畔までやってきました。すっかり黄色くなった落葉松林の向こうには焼岳。今日も活動を続ける活火山ですが、この日は頂上付近からチョロッと噴煙のようなものが出ている様子が確認できました。
次の目的地へ向けて、大正池バス停へと向かいました。この時間(午後2時過ぎ)はお客様の下山がはじまる時間帯です。この日は月曜日でしたが、下っていくバスを見ると行き先に関わらず座席の多くが埋まっている状況でした。(訪問日:平成30年10月23日)

2018/10/05 20:10

夏の頃は午前5時ともなれば明るかった上高地も、この頃は6時半になってやっと谷底まで日が届くほどとなりました。いよいよ秋です。1枚目は朝焼けの明神岳。梓川に架かる明神橋の袂から見上げた光景です。実は、明神岳は独立峰ではなく、穂高連峰の属峰として扱われています。そのような山に、こうした尊称がつけられているのは、こうした朝焼けの光景があってのことではないでしょうか。
橋の上から梓川。夜明け前の水面が鈍く光ります。この時の気温は5℃。ダウンなしではそろそろ厳しくなってきました。ちょうど、頭にヘッドランプを点けた一行とすれ違いました。これから穂高かはたまた槍か、いずれかの山頂を目指すのでしょう。
梓川を渡った先、右岸の明神池の畔には『嘉門次小屋』があります。小屋の名にもなっている上條嘉門次は、14歳の時にはじめて上高地に入り、70歳でその生涯を閉じるまで、ほとんどの期間をこの地で過ごした人物です。猟師として山の地理に明るかったど同氏は、W・ウェストンの著作『日本アルプスの登山と探検』で紹介されたことを機に、山の名案内人として岳人たちの知るところとなります。
その上條嘉門次がイワナ釣りをしていたというのがこの明神池。池畔の落葉松は色づきはじめていました。来たる10月8日は池畔の穂高神社奥宮の例大祭。お船神事として知られるものですが、当日は神官を乗せた龍頭鷁首のお舟が出て、雅楽の音色と共に池を一周します。

2018/08/20 12:30

大正池から歩くこと1時間余りで河童橋に到着しました。この日も最高気温が30℃近くまで上がる暑い日でありましたが、橋の上から眺める河原には涼を求める人々が川遊びに興じる姿をみることができました。
「上高地銀座」の呼び名の通り、橋の上も橋の周りも、国内外から訪れた多数の観光客が行き交います。写真を撮っている方の様子をみていると、やはり穂高岳を背後に入れた定番の構図が人気を集めているようです。こうして筆者も同じようにシャッターを押したのですが、ファインダーの向こうにはダイナミックな光景が広がっていました。
バスターミナル方面へ向かいます。ここで立ち寄りたいのが上高地郵便局です。上高地開山中の4月から11月の間だけ営業する季節局です。ここと上高地町内にあるポストから手紙を出すとオリジエルの風景印を押して貰えます。なおATMは設置されていないのでご注意ください。(上高地にはここを含めて現金を引き出せる場所はありません。)
バスターミナルから乗り込むのは沢渡地区ゆきのシャトルバスです。自家用車では入ることのできない上高地ですが、現在ここを訪れる人の多くは、沢渡地区に自家用車を停めて、このシャトルバスのお世話になります。この日も昼間でしたが乗り込むと車内はほぼ満員でした。それにしても暑い。蒸し風呂状態です。これは、環境保全のため、バスターミナル内ではエアコンの使用が禁止されているためです。

2018/08/16 20:09

田代池もとい田代湿原から、梓川に沿った自然探究路を歩いてゆくと穂高橋・田代橋とふたつの橋のかかる場所に出ます。画像は穂高橋の上からみた風景。山裾に見える白い建物はアルピコグループのひとつ東洋観光事業が経営する上高地ルミエスタホテルです。そのルーツは明治40年(1907年)に開業した清水屋旅館です。
梓川の右岸をんでゆくと、明神岳がみえてきました。標高2931mの主峰をはじめとする5つの峰を持つ岩山です。現在、穂高岳といえば明神岳の左手に位置する奥穂・前穂・西穂などの山々を指しますが、大正期まではこちらの明神岳を穂高岳と呼称していたそうです。
梓川の対岸に霞沢岳がみえてきました。標高2645mの岩山です。山頂の尖った部分は三本槍と称されています。かつては上級者向けのバリエーションルートのみでしたが、1984年に徳本峠からの道が開かれました。
こちらはウエストン・レリーフです。ウォルター・ウエストン氏は1861年英国ダービー州に生まれ、明治21年(1888年)に初来日。その後3度に渡って日本に滞在し、日本アルプスを含む日本各地を訪ねた人物です。氏が上高地へはじめて入ったのは明治24年(1891年)、土地の猟師、上條嘉門次氏をガイドに槍ヶ岳に登頂したとの記録が残されています。

ところで、このウエストン氏のレリーフや銅像は、上高地以外にも氏が訪ね歩いた日本各地の複数箇所にあります。また上高地と同様にウエストンを冠する祭りもまた複数箇所で開かれていることも興味深い点です。

2018/08/14 5:29

大正池の池畔を河童橋方面へ向かって歩きます。途中に開けた河原のようなところがあって、立派な立ち木と焼岳が我々探勝者を出迎えてくれます。この立ち木は焼岳が噴火した際、火山灰に覆われて枯れたものですが、百年以上が経った今、これだけ立派なものは数えるほどとなりました。
変わりゆく上高地の自然を象徴する場所としてもうひとつ取り上げたいのが田代池です。大正期には最深7mあったという池も流れ込む土砂によってすっかり浅くなり、その大きさは年々縮小、湿原化が進んでいます。背後の山は霞沢岳。
湿原にはまだ木が余り育っておらず、絶好のビュースポットとなっています。カラマツ林の向こうに見えるのは、明神岳や穂高の峰々。多くの人が足を留めてこれに見入っていました。現在の遊歩道は池の縁を通るルートですが、昔の絵葉書などをみると丁度画面の手前から奥にかけてのルートもあったようです。

2018/08/10 11:40

上高地を訪れる人の多くはバスでそのまま大正池や終点の上高地バスターミナルへ向かうことでしょう。しかしそこは弊通信の筆者。公園内に入って最初のバス停「太兵衛平」でバスを降り歩き始めます。太兵衛とは同名の戦国武将ではなく、ここで亡くなった杣人の名といわれています。大正池方面に向けて歩きはじめてまもなく、穂高の峰々が目に飛び込んできました。ちょうどやってきたバスと共に一枚。
梓川の淵に出ると大正池の出口に設置されたラバーダムが見えてきました。正式にはゴム引布製起伏堰といい、袋状の筒に空気や水を出し入れすることによって水の堰き止め・放流を行っています。この堰の向こうがかの有名な大正池。上高地を代表するスポットのひとつです。
大正池の畔を歩いてゆくと、焼岳がその山容を現します。大正4年、この焼岳が噴火したことによって大正池が生まれたことは広く知られています。写真の手前の施設は東京電力の霞沢発電所取水口。ここから同発電所まで長さ800m、落差400m余りの導水管が引かれています。同発電所の運転開始は昭和3年ですが、当時のパンフレットには"日本一高落差"と紹介されています。
そんな発電用の貯水池としての側面ももつ大正池ですが、焼岳から流出する土砂などによりその大きさは縮小しつつあるそうです。この池を発電に使う東京電力では、毎年11月に浚渫船を出して作業をしています。この美しい風景も、自然そのままでは決してなく、人の手が入ることで保たれているのです。