2018/08/20 12:30

大正池から歩くこと1時間余りで河童橋に到着しました。この日も最高気温が30℃近くまで上がる暑い日でありましたが、橋の上から眺める河原には涼を求める人々が川遊びに興じる姿をみることができました。
橋の上も橋の周りも、国内外から訪れた多数の観光客が行き交い、上高地銀座の名を欲しいままにしています。写真を撮っている方の様子をみていると、やはり穂高岳を背後に入れた定番の構図が人気を集めているようです。こうして筆者も同じようにシャッターを押したのですが、ファインダーの向こうにはダイナミックな光景が広がっていました。
バスターミナル方面へ向かいます。ここで立ち寄りたいのが上高地郵便局です。上高地開山中の4月から11月の間だけ営業する季節局です。ここと上高地町内にあるポストから手紙を出すとオリジナエルの風景印を押して貰えます。なおATMは設置されていないのでご注意ください。(上高地にはここを含めて現金を引き出せる場所はありません。)
バスターミナルから乗り込むのは沢渡地区ゆきのシャトルバスです。自家用車では入ることのできない上高地ですが、現在ここを訪れる人の多くは、沢渡地区に自家用車を停めて、このシャトルバスのお世話になります。この日も昼間でしたが乗り込むと車内はほぼ満員でした。それにしても暑い。蒸し風呂状態です。これは、環境保全のため、バスターミナル内ではエアコンの使用が禁止されているためです。

2018/08/16 20:09

田代池もとい田代湿原から、梓川に沿った自然探究路を歩いてゆくと穂高橋・田代橋とふたつの橋のかかる場所に出ます。画像は穂高橋の上からみた風景。山裾に見える白い建物はアルピコグループのひとつ東洋観光事業が経営する上高地ルミエスタホテルです。そのルーツは明治40年(1907年)に開業した清水屋旅館です。
梓川の右岸をんでゆくと、明神岳がみえてきました。標高2931mの主峰をはじめとする5つの峰を持つ岩山です。現在、穂高岳といえば明神岳の左手に位置する奥穂・前穂・西穂などの山々を指しますが、大正期まではこちらの明神岳を穂高岳と呼称していたそうです。
梓川の対岸に霞沢岳がみえてきました。標高2645mの岩山です。山頂の尖った部分は三本槍と称されています。かつては上級者向けのバリエーションルートのみでしたが、1984年に徳本峠からの道が開かれました。
こちらはウエストン・レリーフです。ウォルター・ウエストン氏は1861年英国ダービー州に生まれ、明治21年(1888年)に初来日。その後3度に渡って日本に滞在し、日本アルプスを含む日本各地を訪ねた人物です。氏が上高地へはじめて入ったのは明治26年(1893年)、現在の前穂高に登頂したとの記録が残されています。

ところで、このウエストン氏のレリーフや銅像は、上高地以外にも氏が訪ね歩いた日本各地の複数箇所にあります。また上高地と同様にウエストンを冠する祭りもまた複数箇所で開かれていることも興味深い点です。

2018/08/14 5:29

大正池の池畔を河童橋方面へ向かって歩きます。途中に開けた河原のようなところがあって、立派な立ち木と焼岳が我々探勝者を出迎えてくれます。この立ち木は焼岳が噴火した際、火山灰に覆われて枯れたものですが、百年以上が経った今、これだけ立派なものは数えるほどとなりました。
変わりゆく上高地の自然を象徴する場所としてもうひとつ取り上げたいのが田代池です。大正期には最深7mあったという池も流れ込む土砂によってすっかり浅くなり、その大きさは年々縮小、湿原化が進んでいます。背後の山は霞沢岳。
湿原にはまだ木が余り育っておらず、絶好のビュースポットとなっています。カラマツ林の向こうに見えるのは、明神岳や穂高の峰々。多くの人が足を留めてこれに見入っていました。現在の遊歩道は池の縁を通るルートですが、昔の絵葉書などをみると丁度画面の手前から奥にかけてのルートもあったようです。

2018/08/10 11:40

上高地を訪れる人の多くはバスでそのまま大正池や終点の上高地バスターミナルへ向かうことでしょう。しかしそこは弊通信の筆者。公園内に入って最初のバス停「太兵衛平」でバスを降り歩き始めます。太兵衛とは同名の戦国武将ではなく、ここで亡くなった杣人を偲んでつけられた名前なんだとか。大正池方面に向けて歩きはじめてまもなく、穂高の峰々が目に飛び込んできました。ちょうどやってきたバスと共に一枚。
梓川の淵に出ると大正池の出口に設置されたラバーダムが見えてきました。正式にはゴム引布製起伏堰といい、袋状の筒に空気や水を出し入れすることによって水の堰き止め・放流を行っています。この堰の向こうがかの有名な大正池。上高地を代表するスポットのひとつです。
大正池の畔を歩いてゆくと、焼岳がその山容を現します。大正4年、この焼岳が噴火したことによって大正池が生まれたことは広く知られています。写真の手前の施設は東京電力の霞沢発電所取水口。ここから同発電所まで長さ800m、落差400m余りの導水管が引かれています。同発電所の運転開始は昭和3年ですが、当時のパンフレットには"日本一高落差"と紹介されています。
そんな発電用の貯水池としての側面ももつ大正池ですが、焼岳から流出する土砂などによりその大きさは縮小しつつあるそうです。この池を発電に使う東京電力では、毎年11月に浚渫船を出して作業をしています。この美しい風景も、自然そのままでは決してなく、人の手が入ることで保たれているのです。

2018/08/06 18:55

この日は朝から電車とバスを乗り継いで上高地を目指しました。松本駅で乗り込んだのは6:31発の新島々ゆき電車。終点で7:15発の上高地バスターミナルゆきに連絡するこの列車には、平日にも関わらず筆者と同じく上高地を目指すお客様が20名ほどいらっしゃいました。これから山を登る様子の人よりは、探勝目的と思われる、比較的軽装の人が目立ちます。
上高地へ向かうバスは前乗り前降りの観光タイプで見晴らしの良いハイデッカー。それでも路線バスらしく各座席付近には降りますボタンが設置されています。きっぷをお求めになるお客様を全員待ち、座席の8割ほどが埋まったところで出発。新島々から上高地までは1時間5分の旅です。
バスは国道158号線を梓川に沿って進みます。途中見えてくるのは、東京電力の稲核・水殿・奈川渡(いねこき・みどの・ながわど)の通称”安曇3ダム”。昭和40年代、急激な電力需要の伸びに対応するため建設されたものです。(この建設資材の輸送には上高地線が使われました。)梓川上流部は、大正12年に京浜電力竜島発電所がはじめて設置されて以来、都市生活を支える一大電源地帯として開発が進められてきた地域でもあります。
沢渡、中の湯を過ぎるとバスは釜トンネルに入ります。現在のトンネルは平成13年から15年にかけて整備された新しいものですが、それ以前の旧トンネルは“5分の1勾配"と称される急勾配と狭断面で知られ、多くのドライバーたちを悩ませてきました。この釜トンネルと上高地トンネルを抜けるといよいよ上高地です。

2018/07/27 7:19

気象庁が「危険」と表現するほど気温の高い日が続いている日本列島。この日も「少しでも涼しいところへ」と山を目指すお客様で新島々駅は混雑していました。例年ですと電車を降りた時点でもう「涼しい」と仰る方もいるのですが、この日聞こえてきたのは「暑い」という言葉ばかり。本当に異常な事態です。
精算窓口前には例によってきっぷを買う人の行列ができました。松本〜上高地は往復4450円。松本駅よりご利用の際は、事前に駅の自動券売機できっぷお買い求めいただけると乗り換えがスムーズです。なお「信州・飛騨ワイドフリーパスポート」「上高地・乗鞍2dayフリーパスポート」などのフリーきっぷは駅前のアルピコプラザ1Fで販売しています。
これだけ多くのお客様が居ります故、上高地ゆきのバスは1台では到底足らず、2台目、3台目が次々と乗り場に入線してきました。数千人が利用し戦場のようであった往時に及ばぬとはいえ、現在も1日1200人余りが新島々−上高地のバスを利用されるそうです。
そんな”山の玄関口” 新島々駅を会場に、このような企画を準備中。タイトルは「別冊しましま本店-本と電車と山の休日-」です。過去2回、新村駅の5000形電車を会場に開催してきたブックイベント「しましま本店」の”別冊”として今回はじめて新島々駅で開催します。期日は9月23日(日)。改札前で小さな古本市を開きます。テーマは「山の休日を彩る、とっておきの一冊を」。

詳しい情報は
しましま本店WEBサイト
しましま本店Twitter
しましま本店Facebookにて随時お知らせして参ります。

2018/07/08 17:52

この日は徳本峠(とくごうとうげ)に登りました。現在は梓川道(国道158号線~県道上高地公園線)を経由しての上高地入りが一般的となりましたが、それが開通する昭和初期まではこの峠道が上高地へのメインルートでした。芥川龍之介や高村光太郎・智恵子夫妻、もちろんW・ウェストン氏もこの峠を越えて上高地に入ったとされています。
こちらは筑摩電氣鐵道が大正12年に発行したパンフレットの一部です。江戸時代の上高地は主に木材を伐るための場所でしたが、この徳本峠を越える道も元は杣たちが通る道でした。これを大正5年(1916年)に整備したものが現在の登山道です。
本来ですと島々から島々谷を遡るべきですが、こちらは20km以上の距離があり、7時間の道のり。また登山道自体も中~上級者となっています。今回は上高地側より峠を目指すことにしました。明神地区のはずれにある白沢出合から明神岳を背に歩きはじめます。
さきほど中~上級者向けと書きましたが、よくよく考えるとこれまでの筆者の登山経験といえば高尾山か御嶽山ぐらいなものです。装備はそれなりに用意しましたが、果たして、歩きはじめて15分ほどで人一人が通れるほどの隘路がはじまりました。その後は岩の露出した斜面も。休み休み登ります。
一気に上がる形ですので、急に視界が開けてきました。先程は2つの峰を仰ぎみるばかりであった明神岳も、ご覧のように5つの峰を持つ山であることがここで分かります。
白沢出合から1時間15分ほどで徳本峠に到着しました。標高は2135m。ここには徳本小屋があり、食事と宿泊ができます。手前の建物は大正13年(1923年)に営業をはじめた当時の建物であり国の登録有形文化財となっています。
ここで峠からの眺めを…残念ながら雲が出てきてしまいましたが、明神岳と穂高岳とを一度に見渡すことができます。昭和8年(1933年)に大正池までのバスが開通し交通事情が大きく変わった今日もここに山小屋があり訪れる人が絶えないのは、この不変の眺めがあってのこと。体力に自信のある方は是非挑戦を。(訪問日:平成30年6月29日)

2018/06/21 20:49

今回は普段みることのできない上高地の風景から。明神地区よりみた六百山です。手前に見えるのは明神三の池の跡とされるもの。現在の明神池は一の池、二の池の2つですが、江戸時代に書かれた「善光寺道名所図会」には明神岳直下に三靈湖が存在したと紹介されています。
この記事の冒頭で「普段みることのできない」と記述したのには訳があります。ここは梓川の右岸にある治山林道。この道は明神や徳沢、横尾方面への物資運搬のために開かれている道で、通常は歩行者の立ち入りが制限されています。
梓川右岸には治山林道と別に右岸道がありますが、その一部区間(上図参照)が現在工事のために通行止めとなっています。その迂回路として普段は歩くことができない治山林道が開放され、はじめの写真のような光景が自由にみられる...という具合なのです。工事は7月18日までの予定と看板に表示されていました。
もう一度、明神三の池跡の様子をどうぞ。現在の池は梓川に流れ込む支流となっていますが、二の池に見られるような浮島や立ち枯れの木から往時の姿が偲ばれます。自然の生み出す景勝地として日々変わりゆく上高地。一度来たことのある人も、はじめて行くという人も、是非その時の光景を目に焼き付けておきたいものです。

2018/06/04 21:37

6月.山々の緑がすっかり濃くなった初夏の上高地です。4月に来た時はまだ真っ白だった穂高連峰も随分と雪が溶けて谷間に残るばかり。まずは梓川の岸に立って河童橋をいれた定番中の定番の構図で一枚。バスを下りて5分足らずでこれだけの風景が見られるのは上高地線のひとつの魅力でしょう。
まだ時刻は10時前でしたが、橋の周りには沢山の観光客がいました。夏には上高地銀座と称されるほどの賑わいを見せるここなので、この程度の人出はまだ序の口といったところでしょうか。そしてこの日も聞こえてくるのは異国の言葉ばかり。
こちらは上高地バスターミナルの様子。アルピコ交通のバスのほか、国内各地からのツアーバスがずらり。『釜トンネル 上高地の昭和・平成史』によると、上高地を訪れる人の3分の1弱がこうした観光バス利用とのこと。滞在時間は2〜3時間ですので、河童橋周辺か大正池周辺を歩いて帰る方が多いようです。

○上高地・乗鞍高原への電車・バス時刻表はこちらから

2018/05/30 23:12

こちらはバスターミナルから徒歩25分ほどのところ、穂高橋よりみた穂高連峰の様子です。筆者が今年はじめて上高地入りした4月の下旬に比べると随分雪が溶け、前景となる河畔の木々は燃え立つような黄緑色となっていました。
この日は西陽が射しはじめてからの上高地入りとなりましたが、電車には同じく上高地へ向かうお客様が20名ほどいらっしゃいました。割合としての一番多いのはやはり外国からのお客様です。国はバラバラ。
このように、電車とバスを利用して上高地入りするお客様に配慮してか、新島々駅で配布されている時刻表も、日本語、英語、中国語、アラビア語のものがそれぞれ用意されていました。
ところで、バスターミナルに掲示されている路線案内図が新しいものに交換されていました。イラストは松本在住の漫画家・エッセイリストの鈴木ともこさんです。

2018/05/21 7:15

この日は上高地ビジターセンターを訪ねました。中部山岳国立公園を所管する環境省の施設であり入館は無料。シーズン中の朝8時から夕方5時まで空いています。場所は河童橋と小梨平のあいだ。周囲の風景と調和したシックな雰囲気の建物です。
この施設では"上高地の自然への理解と自然に親しむために必要な情報"(公式サイトより)を得ることができます。写真は展示室の様子。山の写真家田淵行男先生の作品などをみることができました。このほかにも映像をみたり、園内の植物や動物について調べることのできるコーナーもあります。
こちらに立ち寄った際に手に入れて欲しいのが『国立公園ガイドブック 上高地・中部山岳国立公園』です。公園を管理する一般財団法人自然公園財団が発行しているもので、一般書店では流通していません。こちらには上高地のコースガイド、エリアガイド、動植物の紹介から、アクセス方法、歴史まで掲載されています。ただ漫然と歩いても良い上高地ですが、それをより深く知り、楽しめる一冊です。頒布価格500円。

《梓川左岸道の一部崩落と明神地区トイレ使用停止について》


河童橋から小梨平を経て明神地区へ至る梓川左岸道ですが、4月下旬より明神地区寄りの一部が崩落し、迂回路を経由する形となっています。

この影響により、明神地区(左岸)へは現在、車両の乗り入れができません。またバキュームカーも入ることができず公衆トイレの使用が停止となっています。

明神地区内には穂高神社奥宮境内に御不浄がありますが、規模も小さいため混雑が予想されます。お出掛けの際はお気をつけください。

2018/05/19 20:51

この日は早起きをして穂高神社奥宮の明神池に足を運びました。穂高神社奥宮は安曇族の祖神であり、陸・海の交通と日本アルプスの総鎮守である穂高見命(ほたかみのみこと)を祀る神社です。写真は明神池の一ノ池の様子です。二艘の船は10月8日の神事の際に使われます。
明神池は朝靄が出ることで知られていますが、見られるかどうかは運次第。(前日に雨が降るなどして比較的湿度の高い晴れた朝に出ることが多いようです。)果たしてこの日は運良く靄に遭遇することができました。
こちらはニノ池の様子。背後の岩山は明神岳です。もともとこの明神池は明神岳の崩落により川がせき止められてできたものと考えられています。その時のものなのでしょうか、池の中には自然石が点々としその上に木々が枝を伸ばす不思議な光景が広がっています。
『上高地物語』(横山篤実 著)などを読むと、穂高神社奥宮がいつからここにあるのかは定かではないようです。想像するに、はじめてここに足を踏み入れた古代の人々は、この光景に神的なものを見出し、自分たちの神様を祀る場として相応しい場所と考えたのでしょう。近代以前の資料に、神河内、神合地、神降地の表記が見られるのもそれ故のことと考えられます。(ちなみに明神池の拝観の栞には「神降地」と表記されていました。)

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2018/05/02 17:56

上高地バスターミナルや河童橋のある場所から1時間ほど歩いたところが明神地区です。河童橋を起点とし徳沢園まで歩くウォーキングコースとしてはほぼ中間地点、梓川の右岸・左岸が明神橋で結ばれていることからも、休憩地点となっています。写真は明神館前からみた様子です。徳沢を越えて横尾、そしてそれぞれの山を目指す登山者の姿も見られます。
明神橋に向かって歩きます。穂高神社奥宮の参道にも当たる道の両脇で枝を伸ばすのはハルニレの木。ハルニレ=エルムと聞いて筆者は北海道をイメージするのですが、決して少なくない倒木に、同地並みに厳しい上高地の冬を思います。
そんなハルニレの足元、地面には緑が広がり、白い花がぽつぽつと咲いていました。ニリンソウです。上高地の春を告げる代表的な花としてよく紹介されるものです。このニリンソウに隠れて、有毒のハシリドコロの姿もありました。
ハルニレの林を抜けると梓川の岸に出ます。ここに架かる明神橋の向こうにドンと聳えるのが明神岳。5峰あるこの山ですが、ここから見えるのは最南峰と二二六三峰です。現在の上高地公園線と国道158号線が整備されるまで、上高地入りのメインルートは徳本峠(とくごうとうげ)を越えでした。上高地に入ってはじめて対面するこの荒々しい岩山に、昔の人は圧倒されたことでしょう。
そんな上高地へはアルピコ交通上高地線の電車とバスで1時間30分余り。松本から上高地バスターミナルまでは片道2450円、往復4550円です(往復きっぷは7日間有効です。)
詳しい情報はアルピコ交通公式サイトをご覧ください。

2018/04/27 21:05

河童橋から明神地区へと向かいました。明神地区は梓川に沿って3kmほど上流にあります。右岸道、左岸道の二つのルートがありますが、今回は長い方の右岸道を歩いてみました。まずは河童橋を渡り、ホテル白樺荘さんの横手側からみた山々の様子。真っ白な穂高連邦の右手がこれから向かう明神地区のシンボル明神岳です。最も高い主峰の標高は海抜2931m。

林の中を10分ほど進むと木道がはじまり、ほどなくして岳沢湿原に出ます。ゆるやかに広がる水の流れの中に枯れた立木。向こうに見えるのは六百山...だと思います。断定できないのは、観光地によくある案内・解説板がないためです。国立公園内ということもあって規制があるのでしょう。上高地を楽しむポイントとして留意したい事柄です。


岳沢湿原に別れを告げると道は再び林の中へ。熊笹が両脇に生い茂る中を進みます。山側からは何本もの沢が流れ込んでおり、透明度は極めて高く、水量も豊かな雪解け水が勢い良く流れる様を何度も見かけました。

なお、この右岸道の山側には自動車も通行可能な治山林道があります。クルマが通れるということでこちらが歩きやすいと入り込む人もいるそうですが、公式の案内では歩行者の通行が禁じられています。それもその筈、この日は大型のダンプカーを何度かみかけました。
右岸道の終点に近づくと再び木道がはじまります。足元には梓川の支流。ところで、上高地の林内には幹の途中で折れたり、根元から倒れたりしている樹木をみかけることがあります。これは冬季の強風によるものとのこと。いま筆者がみている美しい景色も厳しい自然の賜物といえるでしょう。

【おまけ】

上高地線電車では鋳物製のブレーキシューを使用しており、冬季はそこからでた鉄粉で車体が茶色く汚れてしまいます。(参考写真)本格的な山のシーズンまでには掃除が行われます。綺麗になった上高地線電車(とバス)で是非上高地へお出かけください。

上高地地区への電車・バス時刻表はこちらをご参照ください。



2018/04/22 11:36

この日は上高地探勝に於ける定番中の定番、河童橋を訪れました。梓川に架かる幅3.1m.全長36.6m.の吊り橋で、現在のものは平成9年に架け替えられたもの。吊り橋になってからは5代目になるそうです。芥川龍之介の小説『河童』に登場すると各種案内には紹介されていますが、文学碑が見当たらないのは、その中身が痛烈な社会風刺であるためでしょうか。
上高地を紹介する記事では、下流側から穂高連峰をバックに撮影したものが多くみられます。しかし筆者は上流側から見た焼岳を望む景色が気に入りました。大正4年の噴火の際に、噴石が梓川をせき止め、大正池をつくったこの山。今もなお活火山としての活動が続いており、南峰には立ち入ることができません。
それにしても、聞こえるのは外国の言葉ばかりです。事前に人に聞いたり電車のお客様の傾向を見ていたりで分かっていたつもりですが、圧倒されてしまいました。橋のたもとに写真屋さんが立っていたのですが、その呼び込みも最初に中国語、あとから日本語といった具合でした。
この河童橋から5分ほどのところにあるのが上高地バスターミナルです。アルピコ交通の路線バスやさわやか信州号が発着しています。筆者が訪れた際は、ちょうど新島々ゆきが停まっていました。上高地へのバス乗り入れは、昭和8年、前身である松本自動車が上高地大正池まで開通して以来ですからもう85年の歴史となります。
松本方面、新島々ゆきと乗鞍高原ゆきのバスを利用する際に気を付けたいのが「整理券」制度。これは乗車券と共に必要で、利用する便のものを事前に発行する必要があります。整理券は写真の乗車券売り場にて発行しています。

この整理券、利用者の立場からすると「いったい何のために?」と以前から疑問に感じていたのですが、バスを利用されるお客様の数を把握するために実施しているそうです。なおこの整理券、沢渡、中ノ湯へのシャトルバスでは必要ありません。はじめて訪れる方は少々戸惑うかもしれません。