2008/06/07 14:25
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焼きまいたけ
今年は九州北部や中国地方が入梅していないというのに、関東甲信地方が入梅するという逆転現象が起きている。松本は昨年より20日も早い入梅だ。東京より松本のほうが気温が高い日もある。地球が狂いはじめているのを、テレビで隅々まで見せてくれるものだから不安になる。氷河期に衛星放送があったら、恐竜は生き残っただろうか。
雨が小降りになったので、あわててゴミだしに出た。雨がやまなければ横着しただろう暗いけだるい朝だった。梅雨時は、室内に匂いがこもる。生ゴミだけでもと思ったのだ。
生ゴミのはいった袋をひとつ、傘を片手に外に出ると、雨は霧雨よりもっと細くて、目をこらしても見えなかった。
私は傘を傘たてに差すと、家の中に引き返してゴミ袋をもう二つ持ち足した。
ゴミ袋を両手に3つ持つと、手術跡が痛むが、がまんできないほどではない。ゴミステーションはそう遠くはないから、鍛錬だと言い聞かせている。時間に追われている朝は、2回往復するよりは痛みをがまんするほうが精神的に楽である。
ゴミステーションでは、手押し車につかまった老婦人が、私の家の隣人と話をしていた。老婦人は、下にかごのついた手押し車で曲がっている腰をささえている。私は二人にゴミ袋が触れないように、体の前にゴミ袋二つ体の後ろにゴミ袋ひとつ、隊列を作って通りぬけた。老婦人は85歳ぐらいだろうか。会話がきこえる。聞き耳をたてているわけではない。どうやら、バスにのりたいようだった。
ゴミ袋3つ、倒れないように、かつ道を通る車から名前が見えないように気を使ってならべる。この道路は、朝、渋滞で青空駐車場になる。狂った地球だ。止まった車から暇にまかせて、ゴミ袋を横目で見て楽しむ人がいないとはいい切れない。松本市はゴミ袋に名前を書くのだが、個人情報との関係はどうなんだろうと、答えの出ないことを相も変わらず今朝も考えた。
ひとつのゴミ袋がなかなか立たない。
「おくさん、市役所前のバス停で降りたいけど、このバスにのったらいいかい?」」後ろから、老婦人に聞かれた。
上半身をおこして声のほうを向くと、今まで話し相手をしていた隣人がバス停の方向に走っていくのが見えた。バス停はこのゴミステーションから10メートルほど西だ。隣人は最近ひっこしてきたばかりである。ここを通る市内線が市役所前を通るか確認に行ったのだろう。
「市役所ですか? このバスは市役所前は通りませんよ」と私が言うと「市役所前のバス停で降りたいけど、このバスにのったらいいかい?」と同じことを聞く。
「市役所の近くで降りたいのでしたら、この道を戻って浅間温泉からくるバスにのらないといけませんよ」
私は東のほうを指さしたが、老婦人は手押し車に体重をかけたまま、ふりむかなかった。無視したのではない。興味がないのだ。
人は、人が指差すとそちらを向く。スクランブルの横断歩道の中央で立ち止まって、「あっ」という小さな叫び声を効果音にして空を指差すと、だんだん人が集まってくるという。一度試してみたいと思っているがなかなかできないことだ。あっち向いてホイなどもその習性を利用した遊びだ。私はあっちむいてホイがやたらに弱い。興味があるからだ。
老婦人は、振り向くことがもうできない。まっすぐ前をむいたまま「どうしてもね、市役所に行かなきゃ。バスにのらなきゃ」という。「そこのバスにのったらだめなの?」ときく。
「だめなの、市役所へはいかないですよ。駅へいっちゃいますよ」なだめても、「市役所へいかなきゃいけない」とブツブツと自分に言い聞かせるように繰り返すばかりである。
バス停で時刻表やら地図やらを調べていた隣人がやってきて、やはりこのバスは市役所へはいきませんよと言った。霧雨が線になってきた。隣人の体は家に戻りたがっている。隣人は勤めている。いいのよ行って私は目で話す。隣人は私にごめんなさいねの目くばせをして足早に帰っていった。
「市役所に何をしにいくのですか? 今まだ7時だから、市役所はあいていませんよ」
「市役所へ早くいって、そのあと病院へいかなきゃいけないから。ひざが悪いもんで」という。けれど病院へ行くような荷物は持っていない。かごにはスーパーのポリ袋がふたつ。すけて見えるが、たぶんゴミ。「かごのなかは何ですか?」ときくと、笑う。「ゴミを捨てに来られたならここでいいんですよ」と言うと、ゴミじゃないとにらまれた。
私は家が気になっていた。夫が仕事に出る前だ。雨の合間に大急ぎでごみ捨てに出てきたのだ。そろそろ帰らなければならない。
「おくさん、市役所へ行きたいんだけれど」ぐるぐる会話につれもどされてしまった。認知症だと私はすでに気づいていた。4年前の父と同じ目をしていたから。父と話している錯覚にとらわれた。
「ご自宅は近くなんですか?」
老婦人は自宅という単語に敏感だった。じろりとわたしを見て「息子なんだよね、愚痴をきいてくれないの、娘じゃないからね」私を見て、顔をゆがめて嗤う。そして、ウインクをした。「市役所へいかなくちゃ・・・」何のウインクだろう。
「雨が降ってきましたし、時間もまだはやいからいったんご自宅に戻られたらどうでしょう」
自宅へ戻るという単語にはもっと敏感だった。たぶん、老婦人に何かのスイッチが入った。すごいスピードで前へ歩きだした。かけよって、肩をたたいて「白い線のこっち側を行ってくださね」というのが精一杯だった。私にはなんの反応もせず、とっとっとと前へ歩いていく。「ひざがいたくて病院へいく」足にしては想像できない速さだった。
私はうしろがみをひかれながらも、家の方向への道路をわたった。雨が本降りになりそうだし、時間はなかったが、それでも、振り返りながらゆっくり歩いた。老婦人はまっすぐとっとっとと西へ進んでいく。そのバスは市役所へはいかないですよ・・・バス停に気づかず通り過ぎてさらに西へいく。
パトカーがきた。早朝のパトカーなど見たことがない。私は判断に迷ってパトカーをただやりすごした。車道より数メートルのわき道から手を振ってもパトカーからは見えなかったかもしれないと正当化した。
老婦人が突然、見えなくなった。たぶん道を曲がった。パトカーを見たのかもしれない。もしかすると過去にパトカーに世話になっていたのかもしれない。ということはパトカーが戻ってくる可能性がある。パトカーを止めるべきだった。私は自分を責めながらしばらく待った。
老婦人も、パトカーも戻ってこなかった。雨粒が降ってきた。
父、元気でいるだろうか。
きのこが好きだった。
ラズベリーの花とあり
投稿者 : emumu
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