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2008/08/19 14:39 | 印刷

第1編:商品と貨幣
第2章:交換過程

商品は自分で市場に行くことはできないし、自分で自分たちを交換し合うこともできない

という一文で始まるこの第2章は、全部で15ページほど(ちなみに第1章は84ページ)で、何となく箸休め的な部分かなと思い読み進めてみる。

商品には欠けている、商品体の具体的なものにたいする感覚を、商品所持者は自分自身の五つ以上もの感覚で補うのである。彼の商品は、彼にとっては直接的使用価値をもっていない。もしそれをもっているなら、彼はその商品を市場にもってゆかないであろう。彼の商品は、他人にとって使用価値をもっている。(中略)それだからこそ、彼はその商品を、自分を満足させる使用価値をもつ商品とひきかえに、手放そうとするのである。すべての商品は、その所持者にとっては非使用価値であり、その非所持者にとっては使用価値である。だから、商品は全面的に持ち手を取り替えなければならない。そして、この持ち手の取り替えが商品の交換なのである

なるほど~。これは分かり易い。
確かに自分にとって必要な物(商品)であれば、手放す必要は無いわけで、自分の手元にある商品、つまり、自分が生み出すことができる商品が他人にとって必要な物であれば、その他人の手元にある商品と交換することができる。
 
う~ん、これが経済の基本でしょうねえ。
問題は、自分が必要としている商品を所持している他人が、自分の所持している商品を必要としてくれるかってことだよなあ・・・。

そして、マルちゃんはこの後、私のこの問題提起に対して見事に答えてくれるのであ~る。

商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の商品と交換し比較する交易は、いろいろな商品所持者たちによってそれらの交易のなかで一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行われないのである。このような第三の商品は、他のいろいろな商品の等価物となることによって、狭い世界のなかではあるが、直接に、一般的な、または社会的な等価形態を受け取る。(中略)一般的等価形態はあれこれの商品に付着する。しかし、商品交換の発展につれて、それは排他的に特別な商品種類だけに固着する。言いかえれば、貨幣形態に結晶する。

うおぉぉぉ~、マルちゃんお見事!
”自分が必要としている商品を所持している他人が、自分の所持している商品を必要としなかったら?”という私の問題提起に明確な回答をくれた。

自分が必要としている商品Xの所持者であるAさんが、自分の所持している商品を必要としていなくても、Aさんから商品Xを手に入れたBさんが、自分の所持している商品を必要としてくれていれば、そこで交換が成立することになる。

でも、それって、すげ~面倒くさい。
だいたい、このBさんの役割を果してくれる人を探し出すのが大変。だから、ある特別な商品を全ての交換の基本とするようになる。それが、”貨幣”。

すげ~分かり易い。
本当に、”経済の基本、流通の基礎”だな。
この第2章は、ページ数も少なく、箸休め的存在かと思っていたのは、大きな間違い。

この第2章めちゃくちゃ大切じゃん。


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