”マツモト・バウンド”~bluesが聴こえる~
薪能 | Home | 裁判員制度を考える”第8回:ホカベン”
2008/08/09 13:31 | 印刷

第1編:商品と貨幣
第1章:商品
第4節:商品の呪物的性格とその秘密

遂に、第1章も最後の節に突入しました。(は~あ、やれやれ)

労働生産物は、それらの交換のなかではじめてそれらの感覚的に違った使用対象性から分離された社会的に同等な価値対象性を受け取るのである

これはどういうことかと言えば、”労働生産物”つまり商品というのは、交換価値がある必要があり、それぞれが交換される際に何を求めて交換されるのか?
つまり商品は、社会全体からいかなる価値を与えられて交換価値を持つことになるのかの考察結果ですね。

そしてマルちゃんは、その社会が商品に求める価値には2種類あり、その一つが”有用物としての価値”、もう一つが”価値物としての価値”であるとしています。

これは、これまでマルちゃんが語ってきたものにあてはめれば、リンネルや上着は”有用物としての価値”を持っており、金は”価値物としての価値”を持っていることになるということでしょうね。
そして、それぞれの商品の生産者は、リンネルと金、又は上着と金を交換することになるってことですね。きっと。

そして、その際には、
生産物交換者たちがまず第一に実際に関心をもつのは、自分の生産物とひきかえにどれだけの他人の生産物が得られるか、つまり、生産物がどんな割合で交換されるか、という問題である

ということになるわけね。
この辺は、珍しく難しくないですねえ。

商品世界に付着している呪物崇拝、または社会的な労働規定の対象的外観によって、一部の経済学者がどんなに惑わされているか、このことをとりわけよく示しているのは、交換価値の形成における自然の役割についての長たらしくてつまらない争論である。交換価値は、ある物に投ぜられた労働を表わす一定の社会的な仕方なのだから、たとえば為替相場などと同じように、それが自然素材を含んでいることはありえないのである

つまり、金や銀は、自然物のまま社会的に特別な地位を持った存在であるにもかかわらず、一部の経済学者達は、商品(人工物)として考察したために、つまらん論争を続けてるって言いたいんでしょうねえ。やはり、ここでも、マルちゃんの思想の根源には、”労働生産物絶対主義”的な、「労働こそが最大の価値を持つ」という考えがあるのだろうなあと感じることができますね。そして、マルちゃんは「俺がもっとも優れた経済学者である。」と言いたそうですね。

また、商品が交換価値を持つことができるのは、そこに労働力が支出されているからであり、金や銀などは、何ら労働力が支出されているものではないにもかかわらず、一部のブルジョア層が血眼になって手に入れようとしていることには何の意味も無いとでも言いたいのでしょうね。

第1章を読んでの感想をまとめると、こんな感じですかねえ。
「とっても傲慢な経済学者が記したプロレタリア文学」。


              ↑苦労の痕跡

お、わかりやすいですね。
これからなんですかねぇ。今のような金融システムを創造してたとしたら、ややっこくなりそうですね。いやぁ、ありがとうございます。
今回のエントリーが一番分かりやすい
かもしれないですね。

おっしゃる通り、今の金融システムは非常に
ややこしいですね。
私なんて、全然ついていけません(笑)。

ありがとうございます。
今後も私の苦労をお笑い下さい。

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