2008/07/28 13:36
| 印刷
第1編:商品と貨幣
第1章:商品
第3節:価値形態または交換価値
B :全体的な または展開された価値形態
~先日のオフ会非常に楽しかったです。
2次会のカラオケも盛り上がり、楽しかったですね。
参加された皆さんお疲れ様でした。~
さて、本題の資本論。
本当にこの第3節は面倒くさい。
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の要素で表現される。
これは、つまりこういうこと。
「20エレのリンネル=1着の上着=10ポンドの茶=40ポンドのコーヒー=2オンスの金」
そして、この”上着”、”茶”、”コーヒー”等のそれぞれに含まれる人間労働の価値も等しいことになるって言ってるんだけど、本当に同じことを繰り返してるよなあ。
一商品の単純な、または個別的な相対的価値形態は、他の一商品を個別的等価物にする。相対的価値の展開された形態、すなわちすべての他の商品での一商品の価値の表現は、これらの商品にいろいろに違った種類の特殊的等価物という形態を刻印する。最後に、ある特別な商品種類が一般的等価形態を与えられるのであるが、それは、すべての商品がこの商品種類を自分たちの統一的な一般的な価値形態の材料にするからである。
これは難解ですねえ。
正直もう理解したいと思えないです。
もちろん今回の「資本論を読破せよ!」は、理解することが目的ではないから理解できなくてもいいのですが、やっぱり、少しでもモノにしたいと思うじゃないですか。っていうかマルちゃんに負けてるみたいで嫌だし。
で、必至になって理解しようとした結論がこれ。
「要するに、それぞれの商品が他のある商品と等価形態にあるときにこそ、その商品自身が展開された相対的価値形態を持つ(つまり、20エレのリンネル=1着の上着、1着の上着=10ポンドの茶ってことは、当然、20エレのリンネル=10ポンドの茶ってこと)」ってことをいってるんだと、勝手に思うことにしました。
マルちゃんはその後、
一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、または排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。
と語るのですが、この後、遂に「貨幣」が登場してきます。
この「排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間」に、その商品は「貨幣商品」になるとマルちゃんは言います。
つまり、その商品は、独自の社会的機能となり、社会的独占となる特権的な地位を手に入れることになるのだそうです。これは、なんとなく分かりますね。マルちゃんは、「排除される=特別の扱いを受ける」と言ってるのですね。
そして、その「特別の地位」を歴史的に手に入れたのが「金」であるとなるわけです。「金」は最初はリンネルと同じ立場だったのに、いつのまにか商品全体を束ねる「ボス」的な存在に上り詰めたというわけですね。
投稿者 : happa
先日は、ありがとうございました。
カラオケでテンション上がっちゃって、帰りの車の中で変な事を言ってたのではないかと、
ちょっと心配・・・。
資本論、難しいですね。
6文字以上繋がった漢字ってやつは、難解だと思います。
意味が解るようで解らない・・・。
カラオケでテンション上がっちゃって、帰りの車の中で変な事を言ってたのではないかと、
ちょっと心配・・・。
資本論、難しいですね。
6文字以上繋がった漢字ってやつは、難解だと思います。
意味が解るようで解らない・・・。
今の資本主義経済って昔マルちゃんが想像してたものとは違う進化をしてしまったのかも知れませんね。金融商品を含めここまで多様な商品が生まれることは予想していたのかなぁ。。
でも今こそ資本論を理解すべき時なのかも。
私には到底読破できませんので、こちらの解説を楽しみにしております(^^)
そして、おめでとうございます。何かお祝いが出来ればと思っています。
でも今こそ資本論を理解すべき時なのかも。
私には到底読破できませんので、こちらの解説を楽しみにしております(^^)
そして、おめでとうございます。何かお祝いが出来ればと思っています。
投稿者
OGi
: 2008/07/28 21:55:52 JST
返信
コメント追加
聞きました、おめでとうございます!
いやいや、どこでそうなったの???って感じで驚いています。
その場に居たかったなぁ。
よかったですね^^