2008/06/23 17:45
| 印刷
第1編:商品と貨幣
第1章:商品
第1節:商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)
いよいよ、「資本論」の本編へ突入!
・・・・・「資本論」は、三部構成になっていますが、「第一部:資本の生産過程」が最も難解だと言われております。
しかも、第一部の中でも、第1編「商品と貨幣」が最も難解だと言われています。・・・・・
さあ、ここからが本当の「資本論」との戦いだ!
「商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)」は、こんな文章で始まる。
資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。
それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。
「物体」として存在する商品なんて、所詮、「富の基本形態」を表象するものに過ぎないとでも言いたいのか?
よ~し、じっくり話聞こうじゃねえの。
ある一つの物の有用性は、その物を使用価値にする。
これは分かりやすい。使用価値があるかどうかで、その物の有用性が決まるって言ってるんでしょ。
まあ、その物の有用性を使用価値だけで計るのはいかがなものかと思うけど、今日のところはこのぐらいの突っ込みにしといてやろ。
商品体の使用価値を問題にしないことにすれば、商品体に残るものは、ただ、労働生産物という属性だけである。
きたきた~、こういう表現こそが「資本論」が「資本論」たる所以じゃないかと思うわけです。
だって、商品体の使用価値を無視するっていう発想が良く分からない。
どうしても、商品と労働力の関係について話したいからなんでしょ、マルちゃん。
労働生産物が表しているのは、ただ、その生産に人間労働力が支出されており、人間労働が積み上げられているということだけである。このようなそれらに共通な社会的実体の結晶として、これらのものは価値ー商品価値なのである。
ここまでのマルちゃんの記述を計算式に表すと、
商品ー使用価値=人間労働力=商品価値
ってことだよなあ?
ということは、ある商品の商品価値はその商品を生み出す為に用いられた労働力に等しいってことか?
つまり、商品は使用価値のことを無視すれば、”人間の労働力が物質化したもの”だって言いたいのか?
(ヤバイ!ここまでは、割と分かりやすい内容だと思うんだけど、なんか考えれば考えるほど、わけ分かんなくなってる。既に、「資本論」の迷宮に入り込んでしまったか?いやいや、分からなくてもいいから、前に進め!それしか解決方法はない)
この後、マルちゃんは、ダイヤモンドが何故コーヒー豆より価値が高いのかを、あーでもないこーでもないと説明し、こうまとめている。
一商品の価値の大きさは、その商品に実現される労働の量に正比例し、その労働の生産力に反比例して変動する
つまり、ダイヤモンド1kgを生産するのに必要とする労働の量は、コーヒー豆1kgを生産するのに必要とする労働の量よりも多いから、ダイヤモンドのほうがコーヒー豆より価値があることになるし、同じ1kgを生産するのにより多くの労働を必要とするダイヤモンドのほうが、コーヒー豆よりも生産力が低いことになるから、ダイヤモンドのほうがコーヒー豆より価値があることになるってことだよなあ。
なるほどねえ~(完全に分かったフリ)
結局、この第1節で、マルちゃんが言いたいのは、「どんなに労働力を注いでも、誰にも使用価値が無いような商品創ってては意味がない」ってことか、「ある商品に使用価値があるとしても、その商品を生み出すために注がれた労働力は無視される」ってこと?
あ~あ、分かんねえの。
投稿者 : happa
コメント追加

ちなみに、私には引用も、解説も「なにをいってるんだこれは」状態でした・・。
音読してもムリでしたから、ある種の勇気が必要です。