資本論を読み始めて、数日が経過しましたが、やはりなかなか先へ進まないですねえ。
「ん?これって何だっけ?」というように、前に戻っては進み、また戻っては進みって感じで、所謂ひとつの“365歩のマーチ”状態です。
にもかかわらず、現在資本論以外に約10冊ほど、同時に読み進めております。
でもねえ、人間って結構よくできてて、まだまだ読めますって感じなんですよ。
まあ、問題は読んだものから、何を得るか?なんですけどね。

以前、お松様がエントリーされていた宮沢章夫氏の「資本論も読む」を読んでみた。
私は何故、この本を読んでみようと思ったのか?
それは、私が過去に「資本論を読むこと」に挫折したからに他ならない。
私の人生において、途中で読むことを止めた書物は、それなりにはある。(”それなり”というのが、どのぐらいの量を示しているのかについては、ここでは言及しない。何故なら、そんなものに言及することは無駄だからである。)
ただ、そのほとんど(”読むことを途中で止めたもののほとんど”という意味)は、
「つまらん」から読むのを止めたものである。
つまり、自発的に読むのを止めたのである。
”そのほとんど”と言ったが、正確には、”ある一冊を除いた全て”である。
この、”つまらんから読むの止~めた”もの以外で、”読むことを止めた”唯一のもの、
それが「資本論」である。
「資本論」は、私に読むことを許さなかった 化け物 なのだ。
遠い昔に私は「資本論」を手にした。
間違いなく手にしていた。
しかし、読み始めるもなかなか前に進まない。
ちょっと読んでは立ち止まり、またちょっと読んでは立ち止まる・・・。
あの時立ち止まってしまった原因は、はっきりしている。
「資本論」が、私に吐き気を催させ、頭痛を引き起こさせ、心を蝕んだのだ。
「お前に、この俺が理解できるのか?」
と、その化け物は私に問いかけた。
私は、その度に激しい頭痛や吐き気に襲われた。
そう、私は「資本論」に、
「お前は、俺を読む資格がない!」 と一喝されたのだ。
あれから何年経っただろう?
もう「資本論」なんて記憶の片隅にも無くなった今、出会ったのが、宮沢氏の「資本論も読む」である。
彼は同著の中で、次のように語っている。
この「資本論も読む」は、わからない、わからないと口にしつつ、闇雲に読み、いよいよわからないと苦しんでいる様を、ありのままに書くという、これは”読むことの格闘の記録”である。
これだ!これなんだ!
私は”わからないこと”が嫌だった。だから「資本論」に一喝されてしまったのだ。
しかし、前述の宮沢氏の言葉が私に「資本論を読む正しい姿」を教えてくれたのだ。
つまり、宮沢氏の「資本論も読む」を読んで、「資本論を読む」という気持ちがマグマのごとく湧きあがってきたというわけです。
あれだけ私を悩ませ苦しめたあのマルちゃん(親しみを込めて、こう呼ぶことにします)の「資本論」に、もう一度チャレンジすることにしたのです。
宮沢氏も言ってるけど、「今更資本論?と言われるかもしれないが、”真面目に”資本論を読んでみたくなった」ということです。
今回、私がチャレンジすることにしたのは、宮沢氏と同じ大月書店版の「資本論」全9巻。
ちなみに「資本論も読む」において、宮沢氏は5年の歳月をかけて第1巻を読み終えている。
また、宮沢氏は、同著の中で「読み終えるのに25年はかかるぞ」と周囲に言われたとも書いています。
幸いにも、私は「資本論」を読むための時間を宮沢氏よりも所有している。
それでも読み終えるまでに25年かるかもしれない。
それでもやるのだ!
そして、カレーを喰うのだ!
私に「資本論」を読むきっかけを与えてくれた宮沢章夫氏に敬意をこめて、私は宮沢氏の模倣をし、今後”資本論を読破せよ!”と題して、私の「資本論読書記」なるものを綴っていくこととする。
(途中で読むことを止めないための措置でもある)
宮沢氏は、「格闘の記録である」と言った。
まさしくこれから私が記すのは「格闘の記録」であり、
”大冒険アドベンチャー&ファンタジーノンフィクション” なのである。
そう、”happa40にして資本論に挑む”のであ~る。
”マルちゃん!覚悟しろ~!”