”マツモト・バウンド”~bluesが聴こえる~
ベースさん、いらっしゃい! | Home | ボ・ディドリーのおっさん
2008/05/30 21:48 | 印刷

音楽やらない方には、「なんのこっちゃい!」な話。

さて、私がベースを購入してから3日が経過したわけですが、
何せ久々なため、なかなか前に進まないというのが現状です。

それでも、三つ子の魂百までってわけじゃないですが、徐々に昔の記憶が呼び起こされつつあります。

具体的に何かの曲をコピーするなどという面倒くさいことはしませんが、とりあえずやっていることは、”基本的な左手の訓練”と、”3コードのスケール練習”ですね。

”基本的な左手の訓練”とは、単純にローポジションで、ドレミファソラシドドシラソファミレドをひたすら繰り返す。しかも、「薬指を使わずに」とか、「小指を使わずに」というような縛りを設けてやる。なおかつ、これに「親指の位置は変えない」という縛りを加えます。
ローポジションでやるということは、一番フレット間が広い場所でやることになりますから、必然的に正確な押弦の訓練になるわけです。しかも、左手と右手のバランスをとる練習にもなりますし、リズム感を鍛えることにもなるわけです。
粒の揃った音を出す為の訓練にはもってこいですね。
この訓練は、ベースを見ずにやることができますから、テレビ見ながらでもできるので、いい訓練だと思います。
この訓練やってると、左手の体力がおちていることに悲しくなりますねえ。すぐに疲れてしまいますから。これを克服して、左手の体力を向上させることが、まずは肝になりそうです。
しかし、ベースやギター弾かない方にとっては、「なんのこっちゃい!」ですね。

さて、「なんのこっちゃい!」な話二つ目。
それが、”3コードのスケールの訓練”。
3コードというのは、ブルースに端を発した12小節のコード進行です。
例えば、KeyがCの3コードであれば、
C→C→C→C
F→F→C→C
G→F→C→C(又はG)
となるコード進行です。
そして、3コードをルート音だけで弾くことはまずないですから、ある程度決まった3コードのベースラインというものが存在します。
オーソドックスなベースラインを覚えてしまえば、Keyさえ外さなければ、いくらでもベースラインを考えることができます。これが3コードをやる時のベーシストの腕の見せ所というか、センスの見せ所となるわけです。
「おお~、このベースカッコいいライン弾いてんじゃん!」
となるわけです。
(私は、日本一カッコいい3コードを弾くのが、theピーズのベースであるハルさんだと思っています)

でもって、何故「3コードは宝物」なのかの話。

さきほどは、KeyがCだとしたらの3コードの基本的進行を書きましたが、これが、KeyをA、D、E、Gなどに変えたって、理屈は一緒なわけですし、ベースラインを変えることも自由。
ということは、非常に多くのヴァリエーションがあるわけです。
その上、リズムを変えたらもっとヴァリエーションが広がるわけです。大げさでなく可能性は無限大です。

8ビート、16ビート、ジャズ、ボサノヴァ、ブギ、シャッフル、2トーンにすればスカにもなるし、うら拍にすればレゲエにだって聴こえちゃう。
この辺については、私の場合、理論とかではなく、身体が覚えてるだけのことなので、十分な説明ができませんが・・・。
つまり、「次、ボサノヴァ風でいってみよう。」と言われれば、ボサノヴァ風のリズムでベースを弾くことはできるのですが、ボサノヴァのリズムについての理論は全く知りません。

でも、これだけで、イメージの違う曲が何曲できると思います?
これで、イントロ部分だけ格好いいリフ考えちゃったりすれば、十分でしょ。

ほらね、「3コードは宝物」でしょ。

この3コードを極めることができれば、3コードの曲じゃなくても、いろんなヴァリエーションのベースラインを考えることができるってわけですよ。

最近は、自分に最も足りない音楽理論なんかも、勉強できる機会があるので、実はちゃんと練習すれば、結構いいベースが弾けるようになるんじゃないかとワクワクしているわけです。

まあ、そのためにも日々のリハビリをしっかりやらないといけませんが・・・。
10年前の自分に戻るのには、まだまだ時間がかかりそうですから。



それにして、左手の指、ピリピリして痛い・・・。

でもねえ、この痛みに耐えて弾かないといつまでたってもカチカチの指先は作れませんからねえ・・・。

音楽は理論を重ね合わせて、生み出すものではないと思います。少なくとも、私はそう思います。自ら演奏したり、自ら楽曲を創ったり、自らのサウンドを別なサウンドとコラボレーションさせる時に、本当に必要なことは「音を楽しめるかどうかです」

もし理論先行でトレーニングをしはじめていくと、挫折してしまう可能性が非常に高いのです。何らかのアプリケーションを学ぶ時に、市販のマニュアル本を片手に、1から10までロジックの洪水の中に身を置く方がいらっしゃいます。でも、大抵の場合、極めることなく、途中で投げ出してしまうものです。楽しめなくなるから...

音楽は理論ではありません。気持ちのいいコード進行は、後からでもついてくるものです。楽しいコード進行は、理論を越えた所に存在しているものです。3コードだけの世界と、例えば、7th.や9th.等のようないわゆる一部の変異コードでは、描ける世界が格段に異なります。でも、それは理論ではありません。

プロになるのなら、それも必要かもしれませんが、アマとして純粋に音楽を奏でたいのであれば、理論を重視するのではなく、自らのマインド。いい音を、楽しい音を、豊かな音を、表現したいという自らのマインドを大切に日々のトレーニングをされることだと思います。


わくわく・・・
そのお気持ち・
どうぞ・・・・
大切になさって下さい。。

こんにちは^^
3コードに相変わらず苦しめられております。
この進行はアレじゃね?、とまだ解しない進行がひとつあります。
そもそも分析(というにはあまりにお粗末)するには、
手元にプレスリーの譜面しかないのが問題です。
ビートルズを入手しないと。
しかし、先日も3コードの進行、ドミナント、サブドミナント、トニカ、(Cキーで、G,F,Cにあたります。)の大きな流れを見ていくようにと指導を受けたところです。
3コードの話とよく通じると共時性を感じました。

>>MacFan様
横からすみません。
全く、音楽を楽しめるかどうか、という点では私は心から同感です。

ですが、理論が必要ない、というのは音楽を行うものにはプロアマ問わず若干は
必要ではないかと思います。
ここでいう「若干」と「理論」の定義にMacFanさんと私に大きな開きがあるとの前提で書かせてください。
私はクラシックの専門家(という位置づけ)という立場ですが、
ポップスとの解離はゆゆしき問題だと思っております。
というのは、ポップスに限らずすべての音楽は歴史的にもクラシックの、すなわち
西洋音楽の理論に基づいており、少なからずその影響を受けて発展してきたと思うからです。
(そりゃ、コードはアレですが)
たとえば、ブラームスの作品119-1(1893年)の出だし、音名だと
ソミシソミラ、これをまとめて弾くと極めてジャズっぽい、ナインスやセブンスみたいな(とは作曲の先生の言)響きです。
なぜジャズっぽいと感じるのか、は別の学問でしょうが、
この音が何の和音(コード)に解決していくか、というのは明らかに理論です。
西洋音楽でこの音が生み出されるまでに、何があったか、そしてどこに解決するのか知るのは、音楽をする上で極めて有用ではないでしょうか。

一方で、学校教育の音楽でも一般家庭での教育でも最近は
「音楽を感受する」(指導要領)とか「耳を育てる」(プレピアノランドという教本など)ということが
叫ばれています。つまり、マインドを育てつつ、理論も学ぶ、というスタンスですね。

なぜ、カッコいいと思えるのか、どうなったらカッコいいのか、わかった上での音楽活動を目指すということでしょう。
別に頭から入れというのではなく、なぜステキと感じられるのかわかっていたほうが、音楽をするうえで創造的だとは思います。

生意気を申しました。
↑共時性ゆえ、とおゆるしください。
happaさん・すんませ〜ん。ここを借ります。。(笑い)

お松さんこんにちは。


〈ですが、理論が必要ない、
〈というのは音楽を行うものにはプロアマ問わず若干は
〈必要ではないかと思います。


そう思いますよ。必要ないとは...全然・思いませんよ。私も。その通りだと思います。。。


〈つまり、マインドを育てつつ、理論も学ぶ、というスタンスですね。


とても賛成できます。心からご賛同いたします。

ただね、例えば日本における英語教育に置き換えると、もっと分かりやすくなると思います。どんなに英文法を学校で学んでも、英会話を楽しめない・英会話が出来ない・結果・英語が嫌いになったり、いつまでたっても日常会話すら出来ない。そんな日本人が多いですよね。少し似ていると思いませんか?

確かに理論は大切だし必要だと思いますよ。でも、ごくごく普通の方々にとって、理論から入ると、挫折してしまう例は、枚挙にいとまがありません。大切な事は、継続できるマインドをどこに求めるのか?どうやって心の中で育てるか、そしてその結果、素敵に音楽を奏でるスタンスをどうやって持ち続けるのか?音楽が好きで、その活動を続けるためには、どうしたらいいのか?・・・

バランスかもね。何事も・・・

happaさん・すんませんな〜あ。あなたのブログを借りてしまったようで・・でも、こういうのもたまには、楽しいですね!頑張って練習して下さいね。最近は私は、早朝に起きて活動を開始しているのですが、どんなに多忙でも、ギターは毎日・毎朝・最低1時間は練習するようにしています。今度・ミニギターを買って、いつでも・どこでも・練習できるようにしようと思っています。(ここがピアノやベースと違うとこ〜)会社でも車の中でもどこでもね!・・・

だって「継続は力なり」ですからあ〜

ジャンルは違いますが、音楽って、人生の素敵なエッセンスであることに、かわりはありませんね!

お松さんも、happaさんも、私も。。。
私の話ですみませんが、現在教育学研究科に通っております。
日本の教育についての最先端の研究の場、と思うわけですが
(そうとも限りませんが)やはりマインドの育成は永遠の命題だと思い知らされました。

音楽科では、過去の理論から教えてしまった反省、批判からでしょうが、
新指導要領で極めて具体的な指導方針が示されています。
ここでいう反省とは、音楽嫌いの子供を育ててしまったということのようです。

さて、英語科の話が出ましたが、英語はできないと困りますね。
きっともっと困る時代が来るのでしょう。というわけで、英語科は必要に迫られて、どんどん良くなりそうだな、というのが個人的な意見、指導要領をざっと読んだ感じだと、コミュニケーションや日常会話、といった言葉が目につくな、というのが
インチキ院生の気持ちです。どうぞ突っ込んでください^^;
理論がわからないと論文も文献も理解できない、とせっぱつまっている人間としてはいかんとも言い難いです。
英会話は楽しむためのものでなく、グローバルな社会を生き抜く必需品に変容しつつあるようです。(くそー)

私の申し上げる理論とMacFanさんのおっしゃる「理論」はたぶん違うものを示しているだろうという認識の上書かせていただきますが、
何も、子供のうちからアナリーゼとか、大人になって和声法からやれと言うのではありません。
実践的な、たとえばハナ歌とか、ちょっと何かを口ずさむようなことって、日常的なものだと思います。
つまり、人間のうちにはすでに音楽が存在する、と根拠なく信じていますが、茂木健一郎氏によれば音楽を行うのは本能に近いとのことです。
それを、ただ感じてフンフン、とやっていただけのものが、別の側面からアプローチできて、
新たな理解が生まれたらそれもいい、という意味で理論も大切にしてほしい、と思うのです。
そもそも、音楽と理論を分けて考えること自体が誤りで、
マインドも理論も同じように扱うべきなのでしょう。

そりゃ、私だって、リムスキー・コルサコフの「管弦楽法原理」からは入れないですし、
現在格闘中の「和声学」からやっていたらそりゃイヤですよ。音楽をする前にそちらからだったら、何より机上の空論、畳の上の水練にほかならんでしょう。
ですが、前述のように音楽はすでに裡にある。そこに理論が加わったら最強だ、こんちきしょう、とばかりに和声に取り組むのです。

最近読んだ梅田望夫氏と斎藤孝氏の「私塾のすすめ」で知ったのですが、
マイルス・デイヴィスはチャーリー・パーカーから学ぶだけでなく、若い人とも組んで貪欲に学んだうえ、
クラシック音楽の譜面を調べるために図書館にも行ったそうです。私はマイルス・デイヴィスもチャーリー・パーカーも全然知らなくて、これぞ恥もいいところですが、しかし、マイルス・デイヴィスの行為が
すべてを語ってくれていると感じました。

happaさん
不適切なコメントですね。
運が悪かったとあきらめて・・ではなく、マズいようでしたら
削除してくださいませ。
お2人のお話、大変興味深く拝見させていただきました。

いや~、まさか私の3コードの話からここまで話が広がるとは思ってもみませんでした。
やはり、3コードは広がりをもたらすものですねえ。(笑)

さて、どこからお話すればいいのやら。

まずは、お2人と最も共通する点。
これは、言わずもがなの「音楽を楽しむ」というスタンス。

ただですねえ、私の場合は、自分だけで楽しむというスタンスを持ち合わせておりません。
どういうことかと言うと、私はバンドマンだからです。バンドで音を出すことが好きなのです。
そのバンドで創り出す音の一部を自分が担っていることに楽しみを覚えるのです。
したがって、私が最も意識するのは、グルーヴ感です。

以前、私は本気でバンドやってました。(もちろん、これから始めるバンドは本気じゃないという意味ではありません。この場合の「本気」は、音楽で飯を喰いたいと考えているか否かです。)
その頃の経験を少しお話します。

私は楽譜が読めません。いまだに・・・。
(これでよくバンドやってたもんです)
じゃあ、どうやってバンドやってたのか?
私は全て身体に記憶させていたのです。つまり、最低限の知識=ベースのどこを押弦すれば、どの音が出るのか。だけでやりくりしていたのです。
もうちょっと詳しく言いますと、例えば、ギターリストが曲を創ってきたとしましょう。すると私はそれを耳で聴いた音を自分のベースの上で探すという作業をするわけです。
もちろん、そのギターリストだって楽譜に書いたりせずに、「こういう感じなんだけど」とメンバーに聴かせるわけです。すると、他のメンバーがそれにあわせて音を入れていくのです。
こうして曲創りが進むわけですね。

そうこうしているうちに私にも3コードという概念が身につきました。もちろん、これは、3コードの理論が身についたのではなく、例えば、「Cの3コードね」と言われれば、手元のベースのどこを押さえればいいのかを覚えたということです。
したがって、私のバンド活動を支えたものは、私の左手の記憶ということです。

これは様々なリズムについても同じで、例えば、「レゲエのリズム」についての理屈は説明できないけど、レゲエのリズムで弾いてくれと言われれば弾けますよってことです。

このように私には全く理論がありませんでした。
そんな私は、当時自分のベースラインを考えたり、曲を創ったりする際に、限界を感じることがありました。どうしても、もうひと拡がり欲しいとか、もうちょっとグルーヴ感を出したいと考えた時に、「自分も理論を身に付けていれば・・・。」と感じることがありました。

私に想像力が無かったことが原因だったのかもしれませんが、理論があれば絶対に拡がったと思っています。
ありとあらゆるジャンルを聴き、自分の楽器で奏でてきた(すいません、これだけはお2人が何と言おうと私が一番です。生意気ですが・・・)私でも足りないのです。
ですから、理論は絶対に必要です。
これだけは、私の経験則から間違いありません。断言します。

ただし、問題は、お2人が仰るとおり、どの程度の理論か?ということと、理論と感性のバランスだと思います。

>MacFun様の「3コードだけの世界と、例えば、7th.や9th.等のようないわゆる一部の変異コードでは、描ける世界が格段に異なります」について。

仰るとおりですね。ただ、それはギターリストさんの考えですね。私はベースですから、ベースにセヴンスやナインスというものはありません。もちろん、ギターがセヴンスを奏でている時のベースラインというのは存在しますが、ベースは基本的にはルート音を奏でる楽器ですから、ギターとはやや異なると思います。
したがって、私がエントリー中に記載したCの3コードの進行において、当然のようにギターはセヴンスやナインスを織り交ぜてきます。

また、私の言う「拡がり」とは、一つの音に関する「拡がり」、つまり、一言にコードCと言っても、メジャー、マイナー、セブンス、ナインス、サスフォーなど色々な「拡がり」があるという「音」の「拡がり」ではなく、3コードだけでもありとあらゆる可能性を秘めているという意味、つまり、グルーヴ感の「拡がり」を意味しています。
このグルーヴ感というのは、音を変えるだけでは出ないものだと思います。

しかもですね、例えばバンドでスタヂオに入ることがあるじゃないですか。そんな時に、いきなり誰かの曲のコピーをするなんてことはせずに、まずは皆でジャムってみるものです。
そんな時には、やっぱり3コードの進行を知ってると知らないとでは全然違うと思います。
そんな中で、自分が経験したことが無いようなフレーズを他のメンバーが奏でたら、「こいつ、やるな~。面白いな~。」となるわけです。
そして、思うのです。「バンドって楽しい!」

>MacFun様の「理論先行でトレーニングをしはじめていくと、挫折してしまう可能性が非常に高い」

これには、全くの同感です。
私も果たして理論から入っていたらここまで音楽が好きだっただろうか?と疑問に感じますし、音楽に限らず、マニュアル見ただけで、嫌になるなんてこと私にはよくあることですから。(笑)

あっ、ただ音楽に関しては、理論を身に付けることにワクワクしています。なんかもの凄く自分の音楽性が拡がるような気がしているんですよ。
でね、一番楽しいのが、私が無意識のうちに覚えたことが、たまに理論と一致することがあるんですけど、そんな時は非常に嬉しいですよ。

それにしても、MacFun様から、英語教育に関する話題を提供していただいたおかげで、「音楽を演る」という話から教育の話まで出てきて非常に有意義ですねえ。
私としては嬉しい限りです。
もっと、別の角度からの音楽観なんかが出てくると楽しいですね。

音楽に関して言えば、皆それぞれに自分の思い入れみたいなものがあるってのがいいですね。

もっと、音楽論(理論に関してだけでなく)について議論してみたいものですね。
こういう話は面白くってしょうがないです。(もちろん、真面目な意味でですよ)

自分に無かった感性が呼び起こされるような気がして楽しいです。

ところで、おまつん様。
最近は見かけなくなりましたが、昔(私が子供のころ)の日本の歌謡曲って、みんなオーケストラをバックに唄ってたような気がします。
この辺に、クラシックとポピュラー音楽を結び付けるヒントみたいなものが転がってないですかねえ?






すいません。
↑の私のレス、Fanのaがuになっております。
お名前の表記を間違えるという失礼、お許し下さい。

おはようございます~ぅ

いつも軽薄なyamamotoです。
久々の賑わい。活字を目で追うだけですが、
ワクワクしてきました。

内容は全くチンプンカンプンで~す。
でも この活況感が好きで~す。

視覚 > 味覚 > 触覚 > 嗅覚 > 聴覚
な 男yamamoto 50years old.
たまには、いいですよね、こういう活字の洪水。

>内容は全くチンプンカンプン
私も全てを理解しているか怪しいものです。(笑)

おお~50歳でいらっしゃいましたか。
ちなみに私は、40です。
なんとなく自分が若者のような気になってきました!(失礼ですね。すいません。)
happaさん。
40歳は脂がのってきた頃。
私ワ、若返らなくてもよいので、
時間よ。。止まれっ!!
っていう感じです。
人間として脂がのってきていればいいのですが・・・。

腹回りに脂が付くのだけは避けたいです。

仰る通り、若返らなくてもいいから、現状のまま
時間が止まって欲しいというのは、何となく分かりますねえ。

いい時間の使い方をして、いい歳の取り方をしたいものです。

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