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2008/04/23 22:40 | 印刷

遂に出ましたね、死刑判決。

私はこれまで当ブログにおいて2度ほど今回の差戻し控訴審について、自論を記載してきました。
判決が出たということで、私なりの総括をしておきたいと思います。

ここで、これから私が語るものは、私の私見であり、決して社会に対して何かを訴えようというものではありません。
内容に関しては暴論・妄論に類するものを多分に含んでいますが、それらに対する批判は甘んじて受けますが、議論をするつもりはありません。
また、様々な意見や考え方があるのが当たり前です。したがって、当然私と違った見識をお持ちの方がいらっしゃるでしょう。(というより、私と同じ考え方する人のほうが稀)

それは、判決の骨子から。

一、一審判決を破棄し、被告を死刑に処する
一、差戻し控訴審での新供述は不自然、不合理である
一、犯行時18歳になって間もなかったことなどは、死刑を回避する特に酌量すべき
  事情とまではいえない。元少年は反省心を欠いている
一、責任は誠に重大で、極刑はやむを得ないというほかない


判決の要旨については、今日の信濃毎日新聞にも記載されているので、ここでは割愛します。

今回の裁判は、あくまでも最高裁からの差戻し審です。
そして、以前にも書きましたが、最高裁が差戻しをした理由は、「死刑を回避する決定的な事情が無い。死刑回避が妥当であるかどうかもう一度審理しなさい。」というものであったことから、今回の広島高裁での判決は、「死刑」になることは予想できました。

したがって、最高裁が高裁へ差し戻したことに驚いた方は多かったかもしれませんが、今回の判決に驚いた方は少なかったものと思われます。

ただし、今回の判決がかなり画期的であることは間違いないですね。
その理由は、「永山基準」に縛られてない判決であると言えるからです。

「永山」というのは、ご存知の方も多いと思いますが、元死刑囚永山則夫のことです。
1983年、無期懲役の二審判決を破棄し、死刑判決を下した際に示された死刑適用の基準を「永山基準」と呼んでいます。

永山基準は次の通り。

1.犯罪の性質
2.動機
3.殺害方法の執拗さや残虐さ
4.結果の重大さ
5.遺族の被害者感情
6.社会的影響
7.犯人の年齢
8.前科
9.犯行後の情状


この1から9の全てを考慮し、犯罪予防の観点からやむを得ないと判断した場合にのみ死刑を適用するというものです。
つまり、「永山基準」というのは、なるべく死刑を適用しないようにする為の基準ともいえるのです。
死刑適用は「例外」だと言っているのです。

この永山基準が示されて以降の少年犯罪において、死刑判決が下されたのは、3件(4件だったかな?すいません。記憶が曖昧です)。
そのどれもが、被害者の人数が4人でした。
つまり、永山基準の「4.結果の重大さ」としての基準は被害者4人以上ということになっていたのです。
ということは・・・。
今回の被害者は2人。当然死刑判決など出るはずがないのです。

そういう意味で、今回の判決は、「永山基準」越えの判決と言えることになるわけです。

ということは、今までの裁判においては、「死刑適用は例外」だったものが、「死刑適用が原則」となったことを意味し、そういう意味でも極めて画期的な判決と言えるのです。

さて、今回の差戻し審を語る上で触れておかなければいけないのが、弁護団の主張ですね。

以前、当ブログにおいて私は彼らを批判しました。
その理由は、最高裁は「殺人罪が成立することは疑いようも無い。あとは、死刑にすべきか否かだ」としているということは、広島高裁での差戻し審の争点は、「死刑か否か?」ということであるにもかかわらず、弁護団の主張は、「成立するのは傷害致死罪だ」としているためでした。

また、彼らが有名な「死刑廃止論者」であったため、「死刑回避するために、わけの分からない主張をしている」と断罪しました。
もちろん、弁護士ですから被告人の利益を第一に考えるのが当然で、法廷でどんな主張をしようと許されるものであることは百も承知ですし、当該法廷において彼らは、「死刑廃止」を論じているわけでもないですから、私の断罪は単なる感情論でしかないのですが・・・。
私は、「死刑廃止論」を批判しているのではありません。
あくまでも、「死刑か否か?」を争うべき法廷で、「殺人罪そのものが成立しない」と主張することが間違っているのではないかと考えたのです。
「殺人罪は成立するが、死刑に処するのは妥当ではない」という方針で争うべきではないのかと思ったわけです。
だから、「ドラえもん」や「復活の儀式」といった元少年の証言を持ち出して殺人罪は成立しないとする主張は、「死刑廃止論」を展開する彼ら故のものではないのかと想像したからです。

結局、弁護団の方針が逆に仇となっってしまったかのような判決となったことについて彼らがどう考えているのか?
「真相にこだわったことで死刑となってしまった。」と判断しているようですね。
つまり、真実を見つけ出そうと、「ドラえもん」や「復活の儀式」の証言を出したのに、それを「死刑回避するための戯言」と悪いほうに捉えられてしまった。と、判断しているようですね。

しかし、判決の要旨にもあるとおり、今までの裁判において、一度も語られてこなかった新証言が、あんな内容のものだったら、誰だって、「死刑回避のための嘘」と思うのではないでしょうか?

また、弁護団は「今回の差戻し審で初めて真相を究明することになる」とも語っていました。
彼らがこう言った理由は、「警察や検察の取調べにおいて、誘導尋問等の違法な取調べが行われた。」したがって、そこでの元少年の証言は事実とは異なったものである。というものでした。

これには?をつけざるを得ません。

元少年は、一審及び二審の弁護を担当した弁護士を親のように慕い、なんでも話したそうです。
そんな弁護士に対して一度も語っていなかった「ドラえもん」等の話がいきなり今回の法廷で出てきたことはあまりにも不自然ですし、仮に取り調べ段階で違法な取調べが行われたり、一審や二審における検察の主張が事実と異なっているのであれば、元少年は、その当時の担当弁護士にその旨を伝えているはずです。

それらを総合的に判断すれば、やはり今回の差戻し審における元少年の新証言や弁護団の主張は、あまりにも唐突過ぎて、死刑回避のための虚言と判断するのが妥当だと思います。

さて、以前も書いた通り、私は被害者遺族である本村さんを応援していました。もちろん、心の中でですが・・・。

したがって、今回このような判決が下されたことについては、安堵しております。これは、理屈ではなく感情です。

今回の弁護団が「死刑廃止論者」であったことや、今回の判決が「永山基準」の枠を超えたものであり、「死刑は例外」から「原則死刑」へと裁判所の判断が移っていくかもしれないということもあるので、「死刑制度」についての私の自論を少し記載しておこうと思います。
これから記載する内容も、あくまでも私だけの考え方であり、どちらかというと感情論ですが・・・。

死刑制度を考える上でたまに耳にするのが、「死刑は国家による殺人の側面がある。」というもの。

「殺人」という言葉の意味をそのまま捉えれば、「死刑は国家による殺人」という解釈ができないことはないですね。
したがって「人権侵害」という命題のもとに、「殺人者だからといって、国家が人の命を奪うことはあってはならない。」という理屈になるわけですよねえ。

私は、死刑肯定者です。
私は「人の命を奪った瞬間、その殺人者の人権というものは無くなる。」と考えています。
つまり、「人の命という最も大切なモノを奪うようなケダモノは人ではない。したがって、すでに人では無くなったものの命を奪うことは殺人ではない。」
極論であり暴論であることは百も承知です。

もちろん、全ての殺人者に死刑を適用すべきと考えているわけではありません。
少なくとも、前記した「永山基準」の「2.動機」だけは斟酌する必要があると考えています。
つまり、「やむを得ない理由があるのか?」だけは斟酌する必要があると思います。
したがって、この部分は徹底的に丁寧に時間をかけて調べて欲しいと考えております。
そして、この動機を徹底的に調べあげることによって、「殺害の意思」の存在を解明できるのではないかと思うのです。
「殺害の意思」が無ければ、「傷害致死」ですから、ここで死刑回避できるはずです。

ん?ってことは「永山基準」のその他の項目は無視していいってこと?
基本的にはそう考えます。
その理由は、
「3.殺害方法の執拗さ及び残虐さ」→殺害方法が刑の軽重に影響を与えるのはそもそもおかしい。
「4.結果の重大さ(特に殺害人数)」→殺害人数の大小で刑の軽重に影響を与えることもおかしい。
「5.遺族の被害者感情」→基本的に極刑を臨むのが当たり前だと思うけど。
「6.社会的影響」→これも影響が少なければ刑が軽くなるってのは理屈としておかしい。
「7.犯人の年齢」→少年法51条が満18歳未満には死刑を適用しないってなってるんだから、別に年齢を斟酌する必要はないと思う。
「8.前科」→初犯なら、刑が軽くなるってのはいかにもおかしい。
「9.犯罪後の情状」→反省だけなら猿でもできる!

問題は、「1.犯罪の性質」。
この基準の中身がイマイチ漠然として判断しかねています。

「お前のように考えてしまったら、死刑判決の乱発になってしまうぞ!」
こういう批判があることでしょう。

しかし、私は「死刑廃止」を語るぐらいなら、「殺人をどうなくすか」を考えることに時間を割きたい。
「殺人をなくす」なんてできっこない!そんなことを考えるのは不毛だ!と言われるかもしれない。
でも、私は「人の命」を奪うことの愚かさを考えることをしたい。
青い!と言われようが、私はそうしたいのです。

最後に、「裁判員制度」の開始は、もうそこまできています。
今回のような事件を我々が裁くのです。
「裁判員制度」について皆さんはどのぐらい理解されていますか?
私自身は、あまり理解できていないかもしれません。
そこで、今後は当ブログにおいて、裁判員制度について考えていこうと思っています。
お暇な方はお付き合いいただけると嬉しいです。

裁判員制度を考えるための第1問。
「あなたは、今回の光市母子殺害事件で裁判員だったら、どんな判断を下しますか?」





今日もダラダラと長い文章になってしまった・・・・。




反省。













本村さん…長い日々だったでしょうね…
たまに会見を見た時に奥さんとお子さんへの愛があるからここまでできるのかな?
なんて思いました。

裁判員制度→全く理解してません。。。
ちゃんと勉強しなきゃですよね orz

…第1問の回答…(大人な言葉では言えません)
今回の殺害事件を全て理解している訳ではありませんが…
自分が裁判員だったら 極刑。
尊い命を訳わかんない理由で奪うという行為がゆるせないから。
まだ裁判が完全に終わったわけではない(被告が上告してますから)し、失われた二人の命が戻ってくるわけではないので、本村さんの長くて辛い日々が終わりを告げることはないかもしれませんが、一応は良かったのではないかと思います。

今回の事件は被告人に対して同情的になることは難しいでしょうね。

ただ、今後裁判員制度が始まった際に、どれだけの方々が、世論に左右されずに自分自身の考えで、裁くことができるかは甚だ疑問ですね。

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