”マツモト・バウンド”~bluesが聴こえる~
田中勝春 | Home | 1周年
2007/05/25 2:10 | 印刷

長野県が生んだ大監督が亡くなりました。

新聞にも大きく出ていたのでご存知の方も多いと思いますが、
熊井啓監督が亡くなりました。

正直大きなショックです・・・。

長野県が生んだというより、この安曇野が生んだ大監督ですね。(監督は豊科出身)

私が作品の内容に関係なく監督の名前だけで映画を見る数少ない存在でした。

私が熊井監督の映画に出会ったのは中学生の頃です。
テレビで放映された「帝銀事件 死刑囚」が最初の出会いです。

この作品は熊井監督の初監督作品でもあります。
泣ける映画でもなければ、感動する映画でもないこの作品は、
いわゆる社会派の映画です。
中学生だった私にとっては非常にショックな内容でもありましたが、
その後私はひたすら帝銀事件について調べることとなったのです。
それほどまでに興味をそそられる映画であったことは言うまでもありませんが・・。

熊井監督の作品は前述した通り、いわゆる社会派としてカテゴライズされる作品がほとんどです。

監督の作品全てにわたって”人間の心の弱さや苦悩、そして人間の恐ろしさ”が描かれていると思います。

誰もが持っている心の弱さ。
人間とは弱い存在であるからこそ、時として鬼に変貌してしまう。
そんなことを語っているような気がします。

監督の作品の中でも私が好きなのは、”ひかりごけ”。

北海道知床で座礁した船の乗組員のうち船長だけが奇跡の生還を果すのですが、その後信じられない事実が明らかになります。
あまり語ると見て無い方のためには良くないので、内容についてはあまり語りませんが、この映画の中で、三國連太郎さん演じる船長が法廷シーンで語る言葉は今でも私の耳から離れません。
画面の向こうから見るものに対して訴えるあの語りが・・・。
自分自身の弱さから目を背けたくなった記憶があります。

ひかりごけ以外にも、「黒部の太陽」、「海と毒薬」、「日本の黒い夏 冤罪」、「海は見ていた」など名作を多数残してくれました。

私が大学に入学し、サークルに入ってすぐの時に、初めて顔を
あわせた先輩に出身地を聞かれ、「長野県です。」と答えたら、
「あの熊井啓と同じか」と言われたのを思い出しました。

私にとって長野県人であることの誇りの一つが、熊井啓監督だったのです。

大きな星がまた消えてしまいました。

でも、”監督の作品は永遠に不滅です!”

ありがとうございました。



新たな作品に出会う事が出来ず
本当に残念です…

ご冥福をお祈り致します
仰る通り、新たな作品に出会うことができないのは、
寂しい限りです。

今後も熊井監督からのメッセージを大切にしていきたいと思っております。

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