受験シーズン真っ只中(もう、終わり始めてるかな?)ですが、
私の場合、合格発表にはあまりいい思い出がありませんねえ。
私が経験した受験は、高校受験、大学受験、それと資格試験。
まずは、高校受験。
これは最悪でした。
県立高校一本の受験(当時はほとんどの人がそうだったはず)でしたが、合格者の掲示板に自分の番号は見当たらず・・・。
その時はショックでしたが、後でよ~く考えてみたら、周りが真剣に受験勉強をしている頃に一番勉強してなかった。落ちて当然だったわけです。
結局、その後二次募集をかけていた私立高校を受験したのですが、この試験というか合格発表はえげつなかったですねえ。
何せ試験終了後2時間後に合格発表。
あれは心臓に悪いですよ。まじで。
まあ、無事にその高校に入学し、今度は大学受験。
高校時代ほとんど勉強して無い私でしたが、無謀にも超難関と言われる大学を受験。落ちる気満々でした。
なんとも親不孝な考え方でしたが、「どうせ、勉強して無いんだから、何処受けたって受かりっこない。だったら、一番難しいところを受けて落ちたほうが、言い訳できる。”あそこは難しいからね”って。」といういい加減な気持ちでしたから。
そして、浪人生活へ!
流石に浪人生ともなると、少しは勉強しましたね。もちろん、遊ぶ時間の合間を縫っての勉強でしたが。
私が浪人生時代に考えていたことと言えば、「一生懸命勉強して落ちたらショックが大きいし、一生懸命勉強したんだから受かって当たり前。ほとんど勉強しなくて落ちるのは当たり前だけど、受かれば超ラッキーの大喜び!だから勉強はあまりしない。」ってこと。
本当にいい加減と言うか、自己中心的というか困った奴でした。
ただ、浪人生になって分かったことがありました。
それは、「頭の良し悪し(何を持って頭がいいとか悪いとか決めるのかという根元的な問題はここでは一応無視しますね)で、合格不合格が決まるんじゃない。努力は必要だ。ただし、最も必要なのはその”努力の中身”である。ポイントを付いた努力さえすれば合格は勝ち取ることができる。」というもの。
だって、世界に通用しない英語なんて勉強とは言えないでしょ。
ってことは、自ずから受験にだけ役立つ勉強法があるはずなんですよ。
現代国語の長文読解問題だって、その文章を読んでの捉え方なんて十人十色でしょ。
なのに一つの正解を求めさせるってことはどういうこと?と考えれば、長文読解のキーポイントは”出題者の意図を考えること”ってことになるでしょ。もちろん、文法に関する問題はそうはいかないですが・・・。
私のような人間が言うべきじゃないとは思いますが、長い人生なんだから遠回りしてみるのもいいものだ。というようなことを耳にしますが、そんなのは奇麗事でしょ。
たまに「若い頃の苦労は買ってでもしろ。」みたいなこと言われるけど、わざわざ苦労を買う必要もないでしょ。
だってねえ、本人にしてみれば合格したほうがいいに決まってるじゃないですか。
ただ、、不本意にも合格を勝ち取ることができなかった人たちは、自分なりの浪人生活をどう送るかを考える必要があるとは思いますが。
要は、周りの言葉よりも自分の気持ちを大切にした浪人生活を送ったほうがいい結果がでるんじゃないかということなんですけどね。
親不孝な考え方ですかねえ?
でも、受験なんて所詮自分の為にするものでしょ。
だから、厳しい言い方をすれば、”合格するもしないも自分の責任”。
親は最小限の協力だけすればいい、邪魔はしない!
こんなこと言ったら親御さんから「予備校の授業料も、受験費用も親が出すんだぞ!」って怒られちゃいそうですね。
本日のBGM

高石友也 / 受験生ブルース
フォークの黎明期を支えた一人。
アルバムのタイトルでもある”受験生ブルース”は
受験生の悲哀を唄った名曲です。
これ聴いてどっぷり浪人生気分に浸るのも
いいかもしれません。
コメント追加

>「触音’07」No4
やばい、結構おっさんかも。
大学受験の最初の年は全部落ちたので、
ショックでしたよ、私も・・・
ただ、二人の兄も浪人していたので
「まあ、仕方ねーか」程度でしたけど。
そろいも揃ってほんと親不孝ものですね・・・