昨日、生活保護における”老齢加算制度”の廃止は憲法25条「生存権」に違反する。として提訴があったというニュースがありましたね。
生活保護法というのは、憲法25条に基づき、国が生活に困窮する全ての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに自立を助長することを目的としています。
今回問題となっている老齢加算制度は、70歳以上の方々を対象として、通常の保護よりも厚く保護することを目的として生まれたものであることから、老齢者は自立できるようになる可能性が極めて低いわけですから、その制度を廃止することは、生活保護法の趣旨にも反するし、憲法25条にも反するものであるとして、提訴されたのではないでしょうか?
この老齢加算制度の廃止の是非はともかくとして、過去に憲法25条と生活保護法の関係が争われた裁判として、昭和42年の「朝日訴訟」という有名な判例があるので、今日はその辺を記載することにします。
まずは憲法の条文。
「25条:生存権、国の生存権保障義務
①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
向上及び増進に努めなければならない。」
次に「朝日訴訟」について。
当時、結核により入院していたAさんは、生活保護法に基づく医療扶助等として、月額600円受けていましたが、実兄からの仕送りを毎月1500円受けることになったことから、福祉事務所が保護費を打ち切り、さらに医療費の自己負担金額として900円を国庫に納めるよう求めました。
そこで、Aさんは、これを不服として提訴。
一審の東京地裁ではAさんの請求が全面的に認められましたが、控訴審では逆転敗訴。上告審後他界。
裁判の争点:①憲法25条は、具体的な権利を定めたものなのか?
②生活保護法による受給金のカットは、憲法25条に違反するか?
判決の要旨:①憲法25条第1項は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み
得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、
直接個々の国民に対して具体的な権利を付与したものではない。
②健康で文化的な最低限度の生活というのは、抽象的かつ相対的な概念であり、
その具体的内容に関する判断は、厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられており、
その判断は、政治的責任を問われることはあっても、直ちに憲法違反となる
ものではない。
朝日訴訟は当時、「人間らしい最低限度の生活とは?」を世論に訴えたことにより、「人間訴訟」などとも呼ばれたりしました。
今回の老齢加算制度廃止に関する憲法25条違反提訴が、当時のような旋風を巻き起こすかどうかは分かりませんが、少なくとも”格差社会”を考える上で大切な裁判にはなりそうですね。
私にはちょっと難しいけれど、
考えなければいけないことばかりですね。
朝日訴訟の判決要旨は論理的でわかりやすいものですが、
それでは、実際に困窮している個々のケースは
どのように対処していくべきなのか…
為政者、行政、司法…そして市民も
きちんと目をそらさずに受け止めなければ
いけないですね。
>毎回勉強になります
そう言っていただけると嬉しいです。
今後も間違いの無い正確な情報を記載できるよう頑張りたいと思います。
訴訟というのは、本来個別具体的なものではありますが、最高裁の判例というのはしばし法律をも凌駕するものとなり、最高裁の判例が物事の判断をする上でのスタンダードになることは珍しくないですね。
したがって、我々の生活に直接関係してくるかもしれないような訴訟については、もう少し情報が欲しいですね。
トモ様が仰るとおり、我々一人一人がしっかりと見ていくことが肝要であると私も思います。
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よくわからないでおりましたが、こういうことだったのですね。
朝日訴訟のことも存じませんでした。
寝とぼけながらも「固いものが噛めないので」とおっしゃっていた
原告の方から切羽詰ったものを感じました。
ところで今日、いいともをちらりと見て「めっめりめり!」と
叫んでおりました。